つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)

活動報告・国会質問・質問主意書

つじもと清美は「永田町人間」から生まれ変われるか。 5ヶ月の全国行脚での出会いと葛藤を経て、今みなさんに伝えたいこと。 #つじもと清美の全国行脚

2022.6.3

活動報告参院選2022

全国行脚をはじめて5ヶ月が経ちました。“永田町の辻元清美”ではなく、1人の人間として全国を回る中で、たくさんの出会いと気付きがあり、また政治とは何か、野党とは何か、国会議員は誰のためにあるべきなのかなど、毎日何時間も考えに考えを重ねています。私が今感じていることを皆さんにお伝えしたいと思い、じっくりと語ってみることにしました。(※この記事は語りを文字起こししたものです。)

全国行脚をはじめて5ヶ月。いま、辻元清美が感じていること

毎日、日々これ勉強です。昨年、私は厳しい選挙結果を受けたんですけれども、これは有権者の皆さんがもう一回、辻元一人の人間として原点に戻って、ここでギアチェンジしろということを判断してくれたのかなと思っています。

6月の公示までに、全国47都道府県回っていくうちに気付いたのは、私は大阪の都市型の議員だったということです。地方が抱えるさまざまな問題や、こんなに頑張ってはるのやという人にお会いすることは、私にとってもう一回、政治家として生まれ変われる機会をいただいていると感じてます。全国行脚の時は、コロコロ引っ張って、カバンを掛けて、スニーカー履いて、電車を乗り継いで回っています。

結局、私はこの10年間、何をしてきたか。

国会の国対や予算委員会で政権を倒すっていうこと、嘘やごまかしを繰り返した総理大臣を相手に戦い、大阪に戻ったら「大阪市廃止分割」いわゆる都構想という維新の野望と戦ってきた。

いかに、視野が狭くなっていたか。本当に政治家として取り組まなければならないのは何かを考えさせられる、そんな毎日です。

全国行脚で印象的だった出会い

私は、1998年にNPO法の作成に携わりました。だから、NPO法人として頑張っている人たちが、全国各地にいることが、やっぱり法律を作った一人として嬉しいんですよね。

例えば、人口3300人の熊本県の山江村にいって、「みんなの黙ってられへんをきかせて」って集会をやりました。

そこでは、女性たちが中心となってNPO法人を運営していて、旧役場庁舎を改造し、1階を農家レストラン、2階を集会所として活用しています。レストランでは、その地域で採れたお野菜とか、地元のものを提供してくれる。

さらに、障害者や高齢者施設で作ったさまざまな工芸品、それから果梨酒などのお酒も作ったりして、そこで頑張っている女性たちがいるんですね。NPOを核にして、いろんな人たちが集うことで新しいものを生み出そうとする、そういう姿を見て何か私も元気づけられたし、法律を作ってよかったなと思いました。

補助金に頼るのではなくて、NPO法人のように、地域の人の独自性とか自発性を生かして、自分たちの力で地域に仕事を作っていけるような仕組みや税制といった、お金の流し方を作っていくのが、政治の1つの役割かなっていう風に思ったりしています。

全国行脚で気付かされた日本の課題

四国の愛媛県、鬼北町にも行きました。この町の歴史には、江戸時代に、武左衛門という人が百姓一揆を起こし、農民の権利を勝ち取ったというものがあるんですね。さらに、四国のメーデー発祥の地でもあると聞き、労働者とか農民が活発に活動していた地域なんです。そこの街に「辻元、女武左衛門になれ」と私を呼んで、話を聞かせてくれた人たちがいました。

さらに、鬼北町の道の駅みたいなところで、こんな出会いもありました。愛南町で平日は漁師をしながら、土日にキッチンカーで自分で採った魚を調理して売っている方から、お話を聞きました。燃料代は高くなってるし、イベントも無くなって、経済的に苦しいと。漁師は生きていけない。俺らの声を誰も言ってくれへん。この国は漁師を見捨てるのかと。

秋田や熊本でも、農業に携わる方から、民主党政権時代の戸別所得補償を復活してほしいという声を聞きました。

そうして気付いたのは、地方の小さな町や村では非常に農業もしんどいし、それから町工場もしんどいということ。特にウクライナへのロシアの侵攻や、このコロナ禍を経て、やっぱり自分の国で食べて行くものは、自分の国で作らなあかんという危機感を、今回の全国行脚を通してより強く感じるようになりました。

自然災害とどう向き合うか

毎年、あちこちで大洪水のような自然災害が起きているじゃないですか。九州でも、球磨川が2年前に氾濫した。その現場にも行きました。鉄橋も流されて、鉄道もまだ復旧してない。

球磨川の流域の人吉市で、200年以上に渡って履物屋をやっていたおっちゃんから聞きました。球磨川の氾濫で、履物屋が流され、200年続いた生業が廃業に追い込まれ、今もそこは更地のまま。川の氾濫というのは山の問題だというわけね。山が荒れ、地盤が弱くなり、吸水力がなくなって、木が流れて、大きな被害に繋がっていってる。やっぱり山を再生しないと、この温暖化でさらに大きな被害が出るだろうと。

そして、球磨川にかけられた鉄橋は、濁流と流木で破壊され、2年たった今でも鉄道が回復しておらず、孤立した町が存在している。でもこれを復旧をするには230億円かかる。その時、私の頭に浮かんだのは「優先順位がおかしくない?」ということでした。例えば、アベノマスクは500億円かかったプロジェクトだった。このお金があれば、地方の大事なインフラを整備することができたはずでしょう。

こんなおかしな政治は、やっぱり変えなあかんって思いました。私はずっと市民運動をしてきた人間やから、みんなと一緒にボトムアップで社会を変えていきたいねん。今度の選挙というのは、庶民のみんなと立ち上がって、ちょっと一揆みたいなものにしたい。ここでやはり声を上げなきゃいけないんじゃないかと。

地方のライフラインが消えている

地方で今困っているのは、バスとか地方のローカルの鉄道が廃線に追い込まれかねないことだと知りました。この1年間に、距離にして北海道の稚内から鹿児島まで約1000キロのバスが毎年、路線廃止にに追い込まれてるそうです。私は、地方のバスを守ろうということを、公約のひとつにしています。

公共交通というのは、人間で言うと血液と同じだと思います。ぐるぐる回って移動できないと社会は元気にならないし、経済も支えられないわけですよ。特に地方のバスとか鉄道は、毛細血管だと思うわけ。毛細血管まで血が行き渡らないと、社会や経済も死んでいくと思います。

北九州のバスの営業所に行った時に、若いドライバーが「辻元さん。僕たちのことを言い続けてください。」と。「僕らにリモートはありません。感染の危険と隣り合わせでバスを動かしました。鉄道も動かしています。でも、赤字でむしろ厳しくなってる。その間にバスが廃線になっていき、特に高齢者や子供たちも学校や病院に行けずに、困っている人たちが出てきているんです。それなのに、バスの労働者の平均賃金は他の産業に比べて、1割〜2割低いと言われてる。すぐ改善しなくても誰か言い続ける人がいないと、僕らが納得したと思われるんです」って。

政治の場で言い続けることが大事なんだっていうことを再認識しました。

女性の声を聞く

DVの被害者の方からも声をいただきました。私は2001年、通称DV防止法の制定に関わりました。その後この法律は何度か改正されているんだけれども、やはりまだ法律が十分ではないということを、DV被害者が自分の姿を出して意見を言うことはすごく勇気がいるんだけど、それでも聞かせてもらったことは本当にありがたいですね。

それから女の人の子育てとか、介護の負担が多いっていう話はまだまだ全国で聞きます。若い方からは、生理の貧困問題が国会で取り上げられたことはよかったけれども、そもそも生理に対する理解が、社会全体から見れば足りていないということ声も。

全国各地で有志が企画してくれた集会に呼ばれて、みんなが思っている今の政治に対する「これおかしくない?」という声を聞かせてもらってるんだけど、特徴的なのは企画してくれるのも女性、参加者も女性が多いということですね。私はずっと国会で孤独に闘ってきていたような気がするのね。でも、こうやって集まってくれる女性たちと話していると、まだまだ社会を変えられるなと励まされるよね。一緒に社会を変えていきたい。

若者たちの声を届けたい

富山で街頭演説してたら、若い男性がじーっと聞いてくれていて、「どちらかいらっしゃったんですか」と聞いたら、2時間近くかかる町からTwitterを見て、しかも夜勤明けに来てくれたと。若者の雇用と仕事が少ないことに危機感を持っていて、それを伝えたかったって。

それから、若い女性もチラシを受け取ってくれる率が高くなりました。若者の政治参加が少ない、投票率も低いって言われてるけど、ちゃんとみんな意見を持っているけども、参加しにくい仕組みになっているのが問題なんじゃないかなって思うの。

例えば、こないだ来日してたフィンランドの首相は30代。ところが、日本の参議院選挙の被選挙権は30歳からっておかしいなって。今、選挙権は18歳からになった。私は被選挙権も18歳からにしていいと思うの。10代の国会議員がいてもいいと思う。例えば、デジタル担当大臣とかさ、もうすっごい年配の男性でPCの使い方もわかりませんみたいな人がやってたりするじゃない。それよりも、デジタルと民主主義をちゃんとわかってる若者がやった方が、可能性が広がるんじゃないかとか思うのね。全国行脚の中では、こうした部分についても訴えながら回っています。

議員時代を振り返って思うこと

今思うと、すっかり「永田町の人間」になっていましたね。全国行脚での出会いや対話を通して、どんどん溜まってた垢がそぎ落とされていってるような感じがします。私の全国行脚はお遍路のような意味があるのかなというように感じています。

大阪と永田町の行ったり来たりで、国対委員長とか予算委員会の筆頭とかをやってたから、政治を戦いの場みたいに捉えていて、国会では闘士であらねばならぬみたいな感じでしたね。男らしくとか女らしくって縛られると、結局は自分が苦しくなるって言いますよね。それみたい。政治家らしく振る舞わなきゃいけないとか、戦わなければならないとかっていう。やっぱり政治って権力闘争だから、それは大事なことなんだけど、でもサイボーグみたいになってたようにも思うんですよ。

それが一旦木っ端みじんになって、もう一度繋ぎ合わせて、そして多くの人と対話をして、いろいろな地域に行って空気を吸うことで、生まれ変わろうとしている感じかな。

私がみんなのスピーカーになる

例えばこの前、埼玉を街頭演説して電車で移動している時に、席に座ってたら隣の女性が自分のことを話してくれた。夜勤明けの介護士さんで、沖縄出身なんだって。夜勤でヘトヘトだけど、給料上がらないし、両親は基地の問題に反対してるけど、それでも工事は進んでいくから、それを見ていると無力感があって。そんなちょっとした会話なんだけれども、そういう生活の息遣いを感じる言葉のシャワーを浴びると、自分がそこから何を学ぶべきなのか、今までの反省を含めて成長できるのか。そういう道のりが今だと思っています。

他にも、教育は大事だなと。家業が厳しくなって、地方で学校を辞めなきゃいけないとかっていう人も出てきている。ちゃんと困っている人の声が届いていないから、そうなっているんだよね。

今、自公政権を見てると、相変わらずアベノミクスの延長で、むしろ格差を広げる方向に行ってるんじゃないかと。だから声を届けることに加えて、今の政治のありようを変えなきゃいけないと。

「あんたがおらんようになって、国会ではっきり言うてくれる人おらんようになってんやないか」とか、「国会の緊張感なくなった」とか、「国会中継を見る気せんようになった」とか、「国会おもろない」とか、そうやって声をかけてもらうことが一番多いんですよ。

だから私は、全国行脚に出ようと思った時に、声を出せない人や、それからまだまだ小さな声と認識されてしまうものちゃんと拾って、その上で私が国会に行って、大きなスピーカーになって届けるんだと。問題提起をし、そして解決していくんだと思ったんですね。

だから、そうやって声を変えてもらって、やっぱりこれが私のやりたいことだしできることだし、やるべきことなんだなということを、再認識しました。

もしも今、国会に立てたら真っ先に質問したいこと

一つは「暮らしを守る」ということだよね。それからもう一つは「平和」のことやねん。ロシアのウクライナへの侵攻があって、敵基地攻撃とか核シェアリングを推進しようという議論を安易に言ってる人達がいてるけど、むしろこういう時こそ政治家は、人々を煽ったり、勇ましいことを言っりするのではなく、もう少し抑制的であるべきだというように思っています。こうした盛り上がる風潮に危機感を持っているので、外交安全保障や憲法についてはやっぱり議論しなきゃいけないと思ってます。

辻元清美が目指すものとは

目指すもの…難しすぎるなあ。

でも特に印象に残っているのはね、沖縄で聞いた「地域で生まれ仕事し、生活できる社会に。」って言葉なんですよね。すごいなと思ったんですよ。みんな贅沢したいと思っているわけじゃなくて、そこで生まれて普通の暮らしを守りたいし、一人一人が多様に自分らしく生きられるようになってほしい。この声は大事だなと思ってます。

国対委員長時代を冷静に振り返ってみるとね、「戦いのための戦い」という消耗戦をしていたんです。対峙していた政権が、いくらこちらが事の真相解明とか問題提起をしても、虚偽答弁が行われたりとか、それからデータや文章をごまかしたりされると、消耗戦になってしまう。本来は、政府がやっていることをチェックするのは立法府の役割で、与野党を超えて取り組まなくちゃいけないのにね。

やっぱり強い野党を作るってことは、フェアな国会を取り戻すっていうことになると思うんですよ。で、フェアな国会を取り戻してはじめて、そこでいろいろな政策の議論もできる。例えば、ロシアにもプーチン大統領に対峙する強い野党があれば、勝手に戦争に独走していくということを回避できたかもしれないわけで、特に政権がおかしな方向に行こうとしたら歯止めをかけたり、政府と立法府が議論できるようにするためには、野党を強くしなきゃいけないと感じています。

もう一度、今度はみんなと闘いたい。

そういうフェアな議論の土台は、みんなで作っていくものだと思う。私たち政治家も市民も有権者も。そのチャンスの一つが選挙だと思う。この参議院選挙で強い野党を作ってもらうことが、私は日本の政治を良くしていく、公平・公正なジャッジができる場にしていくことにつながるんじゃないかなって思っています。

強い野党を作ることは、議論のできる、問題解決できる、緊張感のある政治を取り戻すことにも繋がります。誰のための政治が必要なのか?これを、全国行脚で教えてもらっているんです。

例えば、本当に低い賃金で、しかし地域を支えているような人たち、漁業で燃料費が上がってしんどい、それでも頑張っている人。DVで苦しんでいる人、小さな村でNPOで頑張っている人。さらには沖縄で、もしも核シェアリングとか敵基地攻撃とかに突き進んで、憲法9条が変わってしまったら、沖縄が真っ先に攻撃の対象になるんじゃないかと心配している人。オミクロン株が米軍基地から被害が広がってしまったので、日米地位協定を変えてほしいって声を上げている人たちもいる。しんどい思いをして働いている労働者。女性や子ども、若い人たち。学校に行きたいいけど行かれへん人。

その人たちのために、やっぱり強い野党を作って、そういう人達の声を届けるだけではなくて、やっぱりみんなと一緒に変わらない社会と闘って、少しずつ変えていかなきゃいけないと私は思うんですよ。全ての人が食べていけるようにすること、戦争だけは絶対アカン、これはぶれたらあかんと。

ぶれない女、辻元清美でいかなあかんと思っています。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。