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2002年7月26日
一票の重み
「一票の重み」。その言葉の意味を理解しながらも、単なるきまり文句のように思えて「有権者のみなさまの一票の重みを大切にして…」というように、わざわざ口に出すことに、私は常に、一抹の違和感を持っていました。ですから、現職の国会議員だった時は、「一票の重み」という表現はあまり使っていなかったように思います。ところが、辞職することになって、まず、私の心に大きくのしかかってきたのが、「一票の重み」だったのです。
今回、私は自分の問題と対応の誤りで、任期をまっとうすることなく、衆議院議員の職を辞することになり、有権者のみなさん、とりわけ私を送り出してくれた選挙区(大阪・高槻/島本)のみなさんに申しわけない事態になりました。私は議員になったことは、「みなさんの代わりに、しっかり、働きます」と大阪10区の方々と『契約』を交わした意味を持ちます。もちろん、その『契約』の中身は、地元に利権誘導をすることではなく、国政全般のルールづくりであることは、言うまでもありませんが…。そして、全国の多くの人たちに支えられて仕事をしてきました。
ところが、辞職することになってしまったということは、私の方から、この契約の期限がくる前に、一方的に破棄してしまったことになると思えるのです。ですから、「せっかく、送り出してくださったのに、最後まで、仕事をまっとうすることができず、本当にごめんなさい」という想いにとらわれて、気持ちがずーっと塞いでいました。
このお詫びの気持ちをどのような場で、どのように表現すればいいのか、それをずっと模索していました。というのも、私はどこかの大きな業界や団体の組織票に支えられて当選したわけではなく、大きな会場に集まっていただいて頭を下げるというわけにもいきません。私の場合は、個人意志の一票一票の積み重ねで当選させていただいたので、道行く人たち、一人一人に気持ちを伝えなければならないと感じていたのです。日常生活を送る中で、日々お会いする人、おひとり、おひとりに自然に自分の気持ちを伝えていこう。そこから始めるのがいちばん今の気持ちに合うと決めました。
さて、日常生活の中で、さまざまな人に出会います。
自転車に乗っている私を見つけた犬の散歩中の女性は「体の調子はどう?早く、元気になりや。つらいこともあるやろうけど、くじけたらあかん」と目に涙をためて、声をかけてくれました。
風呂屋で湯船につかっていると、となりの人が「私は、乳癌で苦しんだけど、なんとか立ち直って、看護師として働いている。人生いろいろや。あんたに投票したのに、残念やけど、しっかりしいや。ところで、これから、どうやって食べていくの?」と我が事のように心配してくれています。
市役所に税金を払いに行くと、「しんどかったら、分割払いにしいや」と職員の方が、そっと声をかけてくれました。昨年の収入に対しての税金なので、高額の支払いができるのか、失業中の私を心配してくれたのです。「アンタの街頭演説は、この町の風景だったのに」と惜しんでくださる人もいます。なんだか、「親戚の子が職を失って落ち込んでいるので、声かけたろ」というような感じで、その暖かさが身に沁み込みます。
知らない人が親身になって、気軽に声をかけて下さる。ありがたいと思うのと同時に、その意味に思いを巡らせています。私に投票してくれた方々は、ご自分の思いをこめて、「辻元清美」と投票用紙に書いて下さったんだとあらためて、実感しています。私の場合は、先ほども書いたのですが、組織票というものにたよった選挙ではありませんでした。だれかに頼まれたからとか、組織が決めたからというのではなく、むしろ、組織の決定に反して、個人の意思で投票してくれたという人の一票、一票の積み重ねで国会へ送っていただいたということになると思います。ですから、組織票に頼っていない分、その一票には、より強い個人の自立した意思が込められていると感じるのです。
それだけ親身に思っていただいているということは、それだけ今後のありかたを暖かく、同時に厳しい目で見守っていただいているということでもあります。
私は現職時代も「一票の重み」の意味をわかっていたつもりでしたが、辞職してからの方が、政治の根幹である、そして政治家の原点である「一票の重み」の本当の意味をかみしめるようになりました。
