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2006年3月23日

憲法そして国民投票制度を論じるための共通認識

本日3月23日、憲法調査特別委員会で20分間の基調発言を行いました。議事録ができてくるのは少し時間がかかるので、取り急ぎ私の発言だけ掲載します。
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<憲法調査特別委員会 3/23>

社会民主党・市民連合の辻元清美です。
社民党は、そもそも今、憲法を変える必要はないと考えていますので、当委員会の設置に反対をいたしました。
まして、いま直ちに憲法改正のための国民投票制度が求められている状況であるとは考えていません。
 
先日も紹介されましたNHKの世論調査では、「どの程度国民投票法案について知っているか?」という問いに対して「よく知っている」が3%、「ある程度知っている」が24%であるのに対し、「あまり知らない」が48%、「まったく知らない」が18%で、66%の人が知らないと答えています。

さらに、知っていると答えた27%の人に成立の時期はいつにするべきかを聞いたところ「手続きを整えておく必要があるので早く成立すべき」が23%、4分の1以下であるのに対し、「改正には賛否両論があるので時間をかけて議論すべき」が60%、「今の憲法を改正する必要はないので法案は必要ない」が16%でした。このように、国民投票について知っている人の中ですら、76%、4分の3以上の人たちが、この法律は必要ない又は急ぐ必要はないと答えています。

この結果は、「憲法議論の主役である主権者の私たちが十分に考えたり知ったりする前に、勝手に決められたらたまったもんじゃない」というのが国民一般の声だと要約できると思います。

私たち社民党は、この人たちと同じ立場です。
私たちは国会の中では「少数だ」と扱われていますが、広く社会全体を見れば、私たちは圧倒的多数の声を反映しているのです。
この国会の中と外のギャップにもっと敏感になっていただきたいと、まず、みなさんに申し上げたいと思います。
本委員会でもこのような世論調査を実施してみてはどうかと提案したいと思います。

3月9日、自民党の基調発言で筆頭理事の保岡委員は「今国会中に提案され、成立されますことを願いつつ」と発言を締めくくられました。
与党の自民党・公明党からは、6月までの今国会で国民投票法を成立させたい、会期中が無理なら延長しても成立させたいという声が漏れ伝わってきます。
なにをそんなに急いでいらっしゃるのでしょうか。
今から会期末までの3ヶ月で、なにがなんでも成立させなければならない理由は見当たりません。ましてや、わざわざこのために会期を延長して成立させなければならないという性質の課題でも、もちろんありません。

さまざまな法案の中には、たとえば先日のアスベスト対策にまつわる法案のように、期限を切ってでも成立を急ぐという場合もあります。時には、会期を延長しても審議するということもあるでしょう。
しかし、国民投票制度は、成立させることよりも、あせらず全国民的な議論をじっくり行うことがまず重要な案件です。

私は議員立法でNPO法成立に取り組み、その過程で国会内外の専門家や市民と議論に議論を重ねました。成立までに何年もかかりましたが、社会の基本的な制度設計に関するものであるからこそ時間をかけました。
私たちNPO法案の成立を目指した議員から見れば、同じ議論の繰り返しにも思えましたが、粘り強く時間をかけ市民を巻き込んだ議論を積み重ねたことによって、みんなの法律だ、制度だという認識が高まり、最終的にはより使いやすい制度になったと考えています。時間をかけて、みんなでじっくり作ったから法律が定着したと考えています。

憲法という最高法規に関する国民投票制度をどのようにするかという議論の積み重ねには、このとき以上の配慮が必要だと考えています。
私たちは、技術的な問題だけを議論して法案策定に没頭してよいという官僚ではありません。それぞれの課題を主権者と共有するプロセスが民主主義の源ではないでしょうか。

前回の本委員会で自民党の葉梨委員から共産党の笠井委員への反論としてこんな発言が出ました。
「民主主義というのは、これはたしかチャーチルでしたか、やはりこれは大変無駄というか非効率なものです。本来、非効率なもの。そして、国民の声というのは丹念に丹念にやはり聞いていかなければならないだろうと思います」
私は、この言葉を、法案づくりを急いでいるみなさんにそのままお返ししたいと思います。

国民からみれば、この議論は始まったばかりという段階じゃないですか。
主権者不在のまま、今国会中に成立させようというような委員会運営にならないようにまず初めに、強く主張いたします。

次に、本「日本国憲法に関する特別委員会」で憲法そのものや国民投票制度を論じるための共通認識の構築の重要性に触れたいと思います。

憲法ないし国民投票制度について共通認識を構築し、議論の土台をしっかり固めておかないと、その上で展開される憲法論議や改正手続きの議論が焦点の定まらないものになってしまうという懸念を私は抱いています。

本委員会での議論では、それぞれの政党や委員がこの基本認識を深めないまま、ばらばらに発言しているような場面にしばしば遭遇します。
国民投票制度について、一見、同じ問題を論じているようで、実はそれぞれまったく違うイメージを描いて議論しているのではないかと危惧の念を抱くことがあります。

そのために、まず「憲法とは何かという基本的性格」、次いで「硬性憲法であるという特質」、最後に「憲法改正の限界」について認識を共通にしておく必要があると考えます。

国民投票制度を論じる場合にも、現行憲法の性質や近代憲法の意味を軽視して論じることはできません。基本になるこの3点の認識について改めてここで提起いたします。

まず、1点目の「憲法とは何か」です。ヨーロッパでの調査では、「憲法の目的は、国民の信託に基づいて権力を行使する国家機関を制約することにある」という近代的な立憲主義の趣旨をみなさんとても大切にしていることを実感しました。
この認識は当たり前のこととしてとらえられ、その共通認識の土台の基で、憲法のあり方や国民投票制度が論じられていました。私は、この認識が国民投票制度の前提として明確化されなければならないと考えます。

ところが、日本国内の議論の実態はどうでしょう。
国民投票制度を早く作って、憲法を変えようと声高に主張する人の中に、「現行憲法には個人の権利ばかりが強調されている」「国民が遵守すべき義務や規制が盛り込まれなければならない」と、現行憲法を非難する人がいます。
昨年発表された自民党の「新憲法草案」にも、「帰属する国を・・・自ら支え守る責務」とか、憲法が保障する権利を公の秩序のために制限できるとの規定に見られるように、この発想が色濃く入っているように思います。
しかし、これらの考え方は近代立憲主義の原理に反するものです。

3月9日の本委員会で、自民党の憲法調査会会長でもいらっしゃる船田委員は「国民投票の機会を国民に与えるという責任は果す必要がある」という趣旨の発言をされました。
私は、「国民投票の機会を国民に与える」という発想に強い違和感を覚えました。
「与える」という発想が出てくるのは、憲法を、主権者から権力側に向けられた指令ではなく、権力側から主権者に向けられたものと捉えていらっしゃるからなのかと疑念を持ちました。

現行憲法では、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」と規定されています。

現行憲法では主権在民がうたわれ、その趣旨から憲法とは主権者が権力を縛るものであるという近代憲法の原理が貫かれています。
そしてこの原理に反する憲法をつくることはできないと現行憲法前文で明記されているのです。
私は、この共通認識をしっかり共有した上でさまざまな議論が進められなければならないと考えます。国民投票は単に国会の決定を国民が追認するものではなく、国民が自分たちの意思を国の方向を定めるために、自分たち自身で明らかにするものでなければなりません。
この認識に立って国民投票制度を考えるならば、主権者の権利の行使として有権者の範囲はできるかぎり広く、運動は自由に、そして国民投票の制度づくりには広範囲な国民的議論を積み重ねるプロセスが重要というようなことが自ずと導かれてくるはずです。
私たちは、制度設計の議論をしているのだから、「憲法とは」という「そもそも論」は関係ないという訳にはいきません。これが1点目です。

次に、改正のための制度設計の基礎になる二つの認識について提起いたします。
日本国憲法が硬性憲法であること、そして現行憲法の基での憲法改正に限界があるのかという点です。

先日の3月16日の公明党の斉藤委員の発言の中に「五年から七年ごとに二つから三つの項目の憲法改正が発議されるとのイメージで考えますと」というくだりがありました。
公明党内でも、日本国憲法の硬性さを軟性化してしまうと疑義も出たようですが、硬性憲法としての現行憲法は、五年から七年ごとにころころ変えるというようなことは予定していないと考えられます。
硬性憲法である意味は、単に議決要件を加重したということではなく、「多数者による少数者への圧制、多数専制を防ぐ」という質的な意味が込められているということを重視すべきです。選挙で過半数を取ってもやってはいけないことを決めたのが憲法です。

そして3点目の憲法改正の限界について言及します。3月9日に、自民党の保岡委員は「投票の単位」についての発言の中で「前文を含めた全面改正というような場合には、それぞれをいくつかの項目に分割して個別投票に付すというわけにはまいらないケースもあるのではないか」と全面改正に触れられました。

憲法改正権は、憲法自身によって設けられた権限であるから、改正の範囲には限界があると、私は考えます。
現行憲法の96条2項では、国民投票によって改正が成立した場合、改正憲法を「この憲法と一体をなすものとして」公布すると定められています。
この「一体となすもの」という意味は、現行憲法の存在を前提としていることは明らかで、全面改正は認められていないと私は考えます。
憲法改正の限界は、もとの憲法との同一性・継続性が保たれるか否かにあります。
そして、言うまでもなく現行憲法の基本理念は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義(戦争放棄)です。
これらを変更するようなものは、憲法の改正とはよべません。したがって、そのようなものを憲法改正手続の中で行うことはできません。
改正の限界があるとされているのは日本だけではありません。特に、軍部による圧制や独裁を経験した国では、その歴史から改正の限界ということを尊重しています。
保岡委員は、自民党が昨年発表された「新憲法草案」を念頭において発言されたのかもしれませんが、この草案は先ほど述べた改正の限界を超えているので、憲法改正として考慮することはできないという指摘が出ています。
全面改正でイエス・オア・ノーという一括投票に含みを残すなどということは、あってはならないことであると強く指摘しておきます。

私は、国民投票制度の内容に入る前に、憲法の意味や改正には限界があるのかどうかなどの基本認識について、徹底した議論をするべきだと考えます。
これらの基本認識の議論を素通りして、手続き法の技術的な論点整理を急ごうとする姿勢には賛同できません。

最後に、最近、はっきりと表面化してきた与党の中、特に自民党を中心に国民投票法案づくりを急ぐ動きの背景には何があるのかということに触れたいと思います。
昨年、自民党は「新憲法草案」を出しましたが、この取りまとめを中心的に行い、本委員会の理事でもある船田委員は3月9日の発言で、国民投票法について「一日も早く結論を出すことが重要である」と改めて表明されました。
どうもつぶさにみていると、このように「新憲法草案」に沿った方向で憲法改正を目指している人たちが、特に国民投票法案作りを急いでいるということは明らかです。
そして、一日も早い成立を、と国民投票法案づくりを牽引している人たちが出した「新憲法草案」は、本日、私が指摘したように、近代憲法の原理や現行憲法の改正の限界を逸脱していると指摘されています。
このような指摘がある草案の方向を目指す人たちが、国民投票法案づくりを急がすこと自体に今日の憲法状況の不幸があると指摘して私の発言を終わります。(了)


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