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2006年4月 5日
3月6日の日本記者クラブ講演
3月6日の日本記者クラブ研究会「憲法」での講演をアップします。
1時間ほどの講演なので長くなりますが、米軍再編や今国会の状況などをまとめて話しましたので、よろしかったら読んでみてください。

みなさん、こんにちは。社民党の辻元清美です。
よくクリーンな鳩とかダーティーな鷹であるというような表現がありますが、私は「冷徹な鳩」だと思っています。護憲、護憲と唱えるだけでは世界中でいろんな紛争がありますが、そんな社会で平和構築は難しい時代になってしまいました。
ピースボートなどで世界のあちこちに行ってきた経験からも9条が大事と主張するだけでは紛争は減らないし、人も死ぬ。どうすれば9条を活かしてこのような状況を変えることができるのか、ずっと考えてきました。9条をもつ国として、どういうビジョンがあるのかということをお話したいと思います。
最初に私は憲法、特に9条を変える必要がないと思っている理由を1点目に、そして改憲の論議が国会中で強く出てきていることの背景、そして、私たちはどうしたいかをお話します。
最初のなぜ変える必要がないと思っているのかというところです。いつ、だれが変えようとしているのかを点検する中で意見を述べたいと思います。憲法調査特別委員会での議論に参加してきましたが、まず、誰がというところにこだわっています。ご承知のように、憲法は権力をしばる、政府のできる範囲を主権在民の主権者の方から決めているのが近代憲法の枠組みです。みなさんはご承知のはずなんですが、国会の論議の中ではそのことをご承知なのかという疑問がわくような議員がいます。というのは、国民が守らなくてはならない最大のルールじゃないか、というような立場から憲法論議を展開するような方もいれば、驚きましたのは、ある自民党の議員が憲法調査特別委員会の現場に、この9条を変えるにあたって、自衛隊の現場の人たちの意見を尊重しなくてはならない。だから、自衛隊の制服組みを呼んで話を聞き、どのような装備が必要なのかとか聞くべきだと主張されたのです。日本はシビリアンコントロール国ですし、歴史的には政治に軍が介入してきて戦争にいたったということもあるのですが、委員会ではこのようなことを平気でいう議員がいるこのような中での憲法論議というのは大変に不安になってしまいます。
主権者の側に「憲法変えた方がいいですか」と聞いた場合に、なんとなく「そうかなあ」と同意する人たちが増えてきたように思いますが、具体的に「じゃあ9条を変えますか」となった場合に変えたほうがいいと思っている人の方が多いとは思えないです。憲法改正の議論が主権者の側から巻き起こっているのならいいのですが、国会の中の政治的な背景や、憲法調査特別委員会での議論はかなり軽く進んでいるような気がしてならないのです。
環境権とか情報公開とかプライバシーの問題など大切だという方がいらっしゃるのですが、私はかつて情報公開法を作ったときの担当者だったのですが、その時、「知る権利」というのを入れることに大反対した議員の人たちが、憲法のことになると「知る権利」は大事だとか言うんです。じゃあ、情報公開法を改正して、知る権利をいれましょうというと、それは困ると。環境権にしても温暖化防止、京都議定書の問題にしてもいろいろと議論したのですが、6%という数字が出てくるまでに、0%で行くと頑張っていた人たちが憲法のことになるといや、環境権は大事だとおっしゃる。そうすると今すぐ国会でできることを憲法を変えてやろうと言う。じゃあ今すぐ環境税の導入をしましょうというと、それはだめだと…なんか矛盾しています。
世の中が閉塞感にさいなまれた時、憲法を変えさえすればなんかできるのではないかと、あるいは政策的な怠慢を憲法が悪いんだといったりして、スケープゴードとして使っているとしか思えない。
つまり、憲法改正の核心というのは9条、特に集団的自衛権、つまりつきつめていくと日米関係のところにあるわけですが、それを環境権だとかでくるんで、劇薬を砂糖菓子のように見せかけていると。
先日、欧州調査に行ってきましたが、どこの国でも憲法を変えるか変えないが長いこと議論されているなあと思って帰ってきました。スペイン、スロバキア、オーストリア、フランス、スイスに行ってきたのですが、年に4回国民投票を一般的行っているスイス以外、憲法を実際に変えていたのがフランスで3回。それも、大統領の任期をどうするかというようなことでした。オーストリアのずっと憲法改正に携わってきた方に、憲法調査特別委員会委員長で自民党の中山太郎さんが全面的に変えるという機運が日本では盛り上がっているのですがとお尋ねしたところ、オーストリアではそれは、例えばオーストリアを君主制に戻すときか、民主主義を放棄するときとか、クーデターが起こるときとしか、憲法を全面的に改正するというときにはそれぐらいしか考えられないという答えでした。
スペインでも27年間、憲法が続いてきているが、そこに定められている規定はかなり強固なものとされている。従って、民主主義の原則に照らし合わせても、そのような強固なものを改正するときには非常に強い民意がなくてはならないといったお答えでした。
そういう中で強く感じたのは現行の日本国憲法が60年続いてきているというのは、強い憲法で歴史の荒波にさらされながらもずっと続いてきたことの意義、つまり日本の国に屋台骨として頑張ってきた、それほどよくできているのだと改めて評価しました。スペインでも27年間、変えるか変えないか議論しているがまだ変っていないということです。スイスでは全面改正がありましたが、周りから見ればほんの一部の改正にしか過ぎないのではないかと見られていそうです。
そんなふうに憲法とは重いものです。ころころ変えられるというような印象をもたれていたり、さきほどの自衛隊を連れてきてみたいな発言やそれに準じる発言があったり、民意を軽くみたりとかする人たちが改憲を声高に叫んでいる。そういうわけで「誰が」変えたいのかということに疑問を持つわけです。
そういう中で、憲法を変える手続き法を6月までにつくるとか、国会の中で急ごうと刷る動きがあります。小泉政権のうちにとか、公明党の代表が変る前にとか、民主党が混乱しているうちになんて、国民が主権者なのに「えっ、そんな話知らない」なんて思ってしまうようなことはあってはならないと考えます。
次に何を変えるかが問題です。
9条が肝ではないかと思っています。ここに自民党の「新憲法草案」があります。新しい憲法をつくったということらしいのですが憲法が許している範囲、改正の限界を超えているのではないかということをまず指摘します。全面改正というのは今の憲法の成り立ちから言って、
その上で自民党がお出しになっているものを例に考えていきたいと思いますが、自衛隊を自衛軍にするというのはよくご存知のことですが、2項のところで「法律の定めるところにより、国会の承認、その他の統制に服する。」、3項では「国際社会の安全を確保するために、国際的に協調して行う活動などを法律の定めにより行うことができるとする」とか、「法律の定めによって自衛軍の組織及び統制に関する事項を決める」と全部、法律の定めるところによってとなっているわけです。私は以前、防衛庁長官をされていた自民党議員の方に問いました。法律の定めるところによって自衛隊を出せる、出せないと決めると書かれているが、どのような時に海外に自衛軍を出すことになるのか。武力行使も含まれているのか問いました。例えば、イラク戦争の場合、イギリス軍は米国と一緒に前線まで行っていますが、もし、憲法を自民党案のように改正した場合に自衛軍はイギリス軍が行っているところまでいけるのですかと聞きました。答えは、その時になってみないとわからんというものでした。その時になってみないとわからないような憲法を持つのかと背筋が寒くなりました。
今の9条については、あいまいだとか、解釈改憲とか言われてますが、少なくとも自衛隊が戦闘の前線まで行かず、サマワに閉じこもっていられるということは憲法9条の効き目の現われだと思います。ところがさらに武力行使というところまで歯止めをはずして法律の定めるところというようなその時の状況によって判断できるようにしている。今よりももっとあいまいで危険です。
さらに自民党の前文には「日本国民は所属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有する」というようなことが書いてあります。これを法律の定めるところが決める自衛軍の構成ということがひっついたら、徴兵制というところまで時の状況によって考えられるのはないかとも尋ねました。そしたら、その時になってみないとわからないというお答えでした。
主権者からこの範囲で法律をつくりなさいというのが憲法ですよね。男女平等って憲法に書いてあるから、男女差別をする法律をつくれないわけです。自民党の草案は一番大事なところを「法律の定めるところによって」となっている。そもそもこれが主権者の憲法ですか?そのことを問いたい。
愛国心のようなことが書かれている憲法が他にあるかどうか調べてみました。民主主義国、先進国の中では、ほとんどありません。ロシア、中国など旧共産圏の国の中には書かれている国もあります。つまり、心に関することについては、憲法には書かないという流れが強い。このような自民党の草案は、歴史に逆行していると思います。
その他にも「自由」という現行憲法のことばがありましたが、それを「自由主義」ということばに変えています。「自由主義」にはイデオロギーが入ってくるのではないか。さらに「公共の福祉」という言葉も「公益および公の秩序」という言葉に書き換えられています。基本的人権がぶつかりあうとき、主権者同志で調整しましょうというのが公共の福祉という概念ですが、それが「公益および公の秩序」というものに書き換えられている。それはなぜか?権力側が秩序違反といったら基本的人権を制限されてしまうかも。
もうひとつ、なし崩しになっている9条を明確なものに変えたほうがいいという議論があるのですが、今の政治状況の中では非常に楽観的な、ナイーブな意見だと思います。
次にいつ、誰が何をということです。今、アジアとの関係は冷え切っていると思います。アジアとの関係が小泉首相の靖国神社参拝をきっかけに冷え切って、さらに変なナショナリズムが首をもたげてきているような気分というのが世の中にでてきている中で、アジアとの関係を考えた場合に、憲法を変えるあるいは、変えるための手続き法をつくるということには賛成できません。
手続きは中立につくると言っても、憲法に関することですからそれだけではすみません。アジアとの関係で、これだけ経済的にも関係がある中で「国益」になるのかどうか。
さらに日米同盟を考えた場合、ブッシュ政権下での米国の戦略、それから新自由主義路線をどう見るのかということにも関係しています。イラク戦争は大量兵器がない中での戦争であったことは明らかになりました。中国の軍事費の伸びのこともいわれますが、世界の軍事費の伸びをみますと米国が突出しています。2004年の統計ですが、ロシアが650億ドル、日本は440億ドル、イギリスが380億ドル、米国は4000億ドルです。そして、世界の軍事費の2位から25位を足しても米国の方が多い。世界中の全軍事費の半分以上をアメリカ一国で占めています。今の国際情勢、その中で日米関係をどう見るかということは深刻だと思います。
その中で米軍再編の問題が持ちあがりました。岩国に行ってきましたが、政府は住民の意見を頭ごなしに聞かないという姿勢をとろうとしています。イラクでもアフガニスタンでも攻撃されるのは軍事施設ですよね。まず、米軍基地や軍事施設があるところが狙われるのは、常識ですよね。基地がある沖縄や岩国はそのような軍事の常識から抑止力というよりもテロや攻撃のターゲットにされる側面が強いのではないか。岩国や沖縄の人たちが基地の撤退をいうのは当然だと思います。
米軍再編の動きは、911以後の米国の世界戦略の中に日本をさらにコミットさせていく、軍事的にも経済的にも一体化させていくということになりますね。この路線が5年、10年続いたらどうなりますか。
憲法を変えるあるいは、手続法をつくるにはアジアとの関係を見たら最悪だと思うし、日米関係も不正常だと考えられる今、急ぐことは日本にとっていいことはないと考えます。核政策を見ても、アメリカはインドを自分たちの仲間にいれようとしています。日本は中国を牽制するためにインドに近づいています。インドはNPT体制に入っていません。イスラエルもNPTに入っていないし、核を持っていると言われていますが、米国はこれをタブーにしています。黙認している。イランに対しては、厳しくすると同時にイスラエル、インド、パキスタンなどにも厳しくあるべきです。ブッシュ政権になってからの「ダブルスタンダード」は加速されています。イスラム諸国の反発は拡大していくでしょう。
日米同盟といいながら、このような米国側にどんどんシフトしていくことに私は歯止めをかけなければならないと考えます。
憲法調査特別委員会では、手続法をつくるだけだからいいじゃないかというのは単純な意見だと思います。手続法ひとつつくるにしても、アジアからどう見えるか、米国はここでひとつ駒をすすめたと見えないか。
日本の政局もからめて、とにかく、急いで手続き法をつくる、そんなことを今、やって何の得があるのでしょうか。
背景に何があるのか。
それは、「競争」か「共生」か、という将来ビジョンの違いがあると思われます。欧州は昔の社民主義というより、今のグローバリゼーションの中で、競争という原理も取り入れつつ、社民的な価値を残していく。つまり第3の道を含めた選択をしています。ユーロができ、共通の安全保障を作っていくことで、エネルギー、環境の安全保障。お互いの歴史問題をきっちり解決していく方策を続けていくというひとつの、共生の形を模索していると思います。
もうひとつは、米国の新自由主義路線というのがあると思います。冷戦が終わってから東西の壁が壊れて、一瞬明るい兆しが見えました。その後どうなったかというと、米国がほら見たことかと、市場原理に従うべきだということで、東側諸国はだいたい従いました。でも、イスラム諸国は従ってないわけです。イスラムの金融システムは西側とは足並みがそろわないと。アメリカは、イスラム諸国もアメリカ型グローバル化のシステムに従わせようとしています。
日本でも格差社会ということが言われていますが、小泉政権下でアメリカ型の競争原理が加速されて貧富の差が広がっている。治安が悪くなる。そうなると警察力が必要で、負けて抵抗する人たちをおさえつけなくてはならないと。新自由主義の競争至上主義が高まってくると、警察力や軍事力がますます必要になっていくという傾向が強まります。
国会での論議を見ていると、なんていうか敗戦コンプレックスのようなものが、憲法を変えることで解消するような方向や、若者がたるんでいるのは自由、自由といいすぎだとか。そのような復古調の改憲論をお見受けします。一方、新しい改憲派は今の社会や経済の市場競争至上主義の流れの中で抵抗勢力を抑えることができるような改憲が必要だということで出てきているわけで、この二つの勢力が合流していると見ています。
私は、競争を全部否定しませんがヨーロッパ的な第3の道を選んでいきたい。本当に企業が競争社会を生きていくためには、例えば社会的責任や戦争を回避する知恵がないと生き抜いていけない。環境や人権と経済、南北問題とか、そういった関係のものの調和をどういうふうにもたせていくか。どれくらい自由と規制をもたせるのか。そのさじ加減が政治の役割だと思います。それが一方に偏った場合には、社会が傾いてしまう。
そういう意味では、共生と非暴力、というものを思想として根付かせ、社会に実現させていくのかという政治を目指したい。その象徴が日本国憲法だった。あれだけの犠牲者を出した戦争、そこで犠牲になった人たちの血と汗の結晶が日本国憲法だったのではないか。それが多くの犠牲者の遺言であり、社会の指針だと思っています。今のなんだか軽い風潮や、日米関係の必要性からだけで憲法を変えたらいいというよりも、なぜこの憲法が60年間、ずっと変えられずに根付いてきたのかを重視するべきだと思っています。
競争か共生かという社会のビジョンと、軍のあり方、軍事力、警察力などの公権力の発動はセットになっている。日本社会が競争の中に舵をむけていったのと同時に、改憲の議論も加速させられていっていると思います。
最後にどうしたいか。憲法9条を守ろうというだけではいけないと。それでも人は死ぬと言っています。憲法9条をもつ国としてどう活かしていくかを外交政策や安全保障で考えられないのか。9条を活かした場合と改憲した場合にどうなるかというそれぞれのビジョンを、9条をもっていることを活かして、さらに今より活かしたビジョンを示した上で、変えるのがいいのかどうか問わなくてはならないと思います。
9条を改憲して集団的自衛権をみとめた場合どうなるのか。ベトナム戦争にしても、韓国は米国とともにベトナムに出兵しています。前線に出されています。それは韓国はアメリカとの間で軍事同盟をもち集団自衛権を認めているのでベトナム戦争に派兵した。日本は行っていない。日米安保条約があっても集団的自衛権を認めていないから、そして憲法9条が歯止めとなって派兵していない。
集団的自衛権の行使を認めるということは、時の状況によっては日本もイラクやベトナムに派兵し、海外での武力行使を行うようなことになるわけです。これはリスクが高い。今は、紛争が多い時代になっています。世界で30以上の紛争が起こっている。紛争が多い時代に大事なのは、どちらかに加担して派兵し一緒に戦うのではなく、紛争地の人たちが望んでいることは一刻も早く紛争をやめさせてほしいということです。私は、あらゆる紛争を武力で解決しないという憲法9条をもつということを武器にして紛争の調停とか仲介をもっと積極的にやれる日本になるのではないかと考えます。
例えば、ノルウェーの秘密調停外交は有名です。いきなり政府が出て行かずに人道支援の医者とか、学者を両者に秘かに入れていく。ぞれぞれの派の中で信頼関係をつくって、五年とか10年をかけて、交渉のテーブルについたらどうかと説得して、その上でノルウェー政府が交渉のテーブルを設定する。世界中の紛争地に出かけて行って、コミットメントする。
日本は武力ではあらゆる紛争を解決しないと言っている日本ですから、武力以外だったら地の果てまでも行って解決しますよというような国になれる。混沌とした時代だからこそ大事だと思います。紛争地に出かけて行ったら、調停している側にも犠牲者がでます。ノルウェー人も死んでいます。「冷徹な鳩」もリスクがある。集団的自衛権を行使することにもリスクがある。どちらのリスクを引き受けるかということです。私の立場は和平調停にならリスクを覚悟で出て行く覚悟があるという立場です。憲法9条があるからすぐにバラ色の社会が実現できるというわけではないのです。
軍縮の問題ですが、日本が、核とテロで使われるような小型兵器での軍縮について、どのようなイニシアティブを発揮できるか。そして、核軍縮にどのような役割を担えるのか。イスラエルについては、軍事用のプルトニウム560キロ分、つまり核爆弾145個、インドは80個、パキスタンは70個分、北朝鮮はせいぜい3から9個分、イランは民生用の高濃縮ウラン7キロ分だけだったという報告を米国のシンクタンクがしています。日本は被爆国、どこ行っても皆知っています。世界中の教科書で教えているからです。核兵器の問題は深刻です。沢山持っている国が、ちょこっと持とうとした国に捨てろって言っても「おまえたちは核を持っているではないか」と説得力がない。日本は、核を、持っている国にも核軍縮を説得し、持とうとしていく国にもやめときと言える立場にある。そういうことをしなくてはいけないと。
小型武器を捨てさせるというのも大事です。
今、毎日、これによる犠牲者が1000人出ています。特に、子どもや女性など、犠牲者の9割が市民です。国連には、これを破棄させるための政府間パネルがあるのですが、数年前、日本は議長になりました。「武器輸出を自制する日本の道義的高見は特別。日本こそ世界の人道と軍縮の旗手に他ならないと小型武器の拡散に病む貧しい国々のこうした声に他国は立候補を取り下げた。」と言われています。戦後武器を売らなかったからです。
武器を売っている国が捨てろと言っても、お前らも売っているやないかとなれば説得力がない。日本は、憲法9条の基で武器輸出を自制してきた貴重な国なんです。でも、武器輸出を解禁する動きが最近は出てきました。これは宝をどぶにすてるようなものだ。今紛争が多い時期であればあるほど、日本が戦後、日本国憲法の下で歩んできた道が今こそ一番、大事にされなければならない時期だと思っています。
もうひとつ申し上げたいのが人道支援です。人道支援てなんだろうと。日本では危ないから武器持っていかないといけない言われますが、逆の場合が多いです。目の前で武器向けられたら、もし、自分が持ってたら抜きますよね。守ってもらうなら現地の民兵や警察に守ってもらう、言葉や地理を熟知した人に。人道支援に行くときは、自分たちは少数で、現地の人たちをたくさん雇って現地に仕事をつくることが大事です。現地の人たちをどれだけ人道支援に取り込んでいくことができるか。そのためのお金は大事です。自分たちが現地の人たちがニーズに応じて自由に使えるお金、つまりODAをつけることは大事だと思っています。
イラクの自衛隊派遣は人道支援でしょうか。合理的に言えば、自衛隊の派遣費用は一日8000万円かかっています。特別手当の出張手当分は一日ひとり20,000円から24,000円です。総経費で1回1200万円くらいです。それだけの多額の予算を使って学校などの整備をしているらしいのですが、イラクでは学校を新設するのに一校600万円くらいでできると言われています。それならイラク中の学校を日本が新設できるのではないかと、それが人道大国としての日本の役割ではないかと。費用対効果から言っても自衛隊派遣は無駄ではないか。
私は、核や小型武器の軍縮、そして仲介外交や人道支援を積極的にやっていく。
憲法を変えて集団自衛権を認め、米国にどこまでもついていくのがいいのか、きちんと憲法9条を活かし仲介外交や人道支援や軍縮をやるのがいいのか。それぞれのビジョンを示した構想力をともなった憲法議論をしていきたい。
私は両方リスクがあるのなら、9条を活かす道を選んでやっていこうではないかという立場に立ちたい。だから、9条を変えることに反対します。護憲、そして活憲の立場にたっていくことが今の政治状況の中では大事だと思っています。
