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      <title>辻元清美ブログ</title>
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      <description>辻元清美の日々の動き、つながりをブログで発信中！</description>
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         <title>訪韓、そして民主党代表選挙</title>
         <description>私は八月二六日から三〇日までソウルを訪問した

関西空港を出て、仁川空港から文化体育観光部へ直行、韓国の観光大臣であるユ・インチョン長官にお会いする。彼は人気俳優で、間もなく任期が切れるという多忙ななか、時間を割いてくれた。名古屋で行われた日中韓の観光大臣会合で私がホスト役を務めたときにお会いして以来、「日中韓の人の行き来をどう増やしていくか」と知恵を出し合ってきただけに、同志のような思いが互いにある。
昨年、日・中・韓の観光大臣会合で「東アジアの観光交流の活性化」を決めた。私は観光立国推進本部の事務局長として中国からの個人観光客のビザ取得要件緩和をまとめた。今年七月一日から施行、中国人渡航者増加をユ長官に伝える。財政出動を伴わない経済対策だ。内需を拡大し雇用も生まれる。何より憲法九条の理念の体現として力を入れて進めた政策だ。退任してからも連絡を取り合おう、と携帯番号を交換。

翌日はソウル市内を視察。関心があるのは、川の再生計画。自然再生と文化再生を掲げた清渓川（チョンゲジョン）の復興は、ソウルを訪れる観光客を大幅に増加させた。またソウルは公共交通政策が進んでいる。市の関係者にも会って、説明を聞く。

その後、シン・ガクス外交通商部第一次官と会談。日本で言えば副大臣。「これからはＮＧＯが重要です」とシン第一次官。まったく同感。私が政府に入って心がけたことは、政治のあらゆるシーンにＮＧＯ・ＮＰＯを侵食しさせること。アメーバのように。だから私の副大臣室には、当事者団体や市民運動の人たちがいつも、Ｔシャツ姿でやってきては官僚と政策を議論していた。政策プロセスそのものを変える「国交省の静かな革命」と考えていた。シン第一次官とは歴史問題も議論する。「政府が変わって、未来に向けた新しい関係をつくっていける」と熱く語っていた。

さて、ちょうど出発前から報道が過熱していた民主党の代表選挙。今日、お二人の共同記者会見をテレビで視た。かたや田中角栄元総理仕込み、かたや市川房枝さんが出発点。時代を体現した個性をもつ政治家同士の全存在をかけた対決は、必然だったのではないかと考える。
私もまた、ひとりの政治家として、しっかり目に焼き付けたいと思う。</description>
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         <pubDate>Wed, 01 Sep 2010 18:55:28 +0900</pubDate>
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         <title>人生の節目の日</title>
         <description>本日、私の離党届について社民党の常任幹事会でご議論いただき、受理していただくことになりました。

いままで社民党の辻元清美としてご支援いただいた皆様には、あらためてお詫びを申し上げなければなりません。
同時に、これまで育てていただき、お世話になった社民党の皆様に感謝を申し上げます。

今日は私にとって人生の大きな節目の日となりました。
これからも自分らしさを大切にして、ご期待いただいた皆様の気持ちに応えられるよう、精一杯がんばります。
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         <pubDate>Thu, 19 Aug 2010 18:57:10 +0900</pubDate>
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         <title>新しい国会事務所にて――NPOが私の原点、と再確認</title>
         <description>社民党に離党届を出し、心情的には「無所属議員」になってから２週間たつ。新しい議員会館の部屋には、連日思わぬ来客、これまで話したことのないような他党の議員や秘書の方などが来訪される。
今日の午前中もある議員と話していたのだが、共通しているのは「今の政治は、リベラルの力が弱くなっている」という思い。なんとか再結集をするために、ネットワークを広げて意見交換していこう、と言いに来てくれる人が多いのだ。私も同感。

午後１時に、沖縄・泡瀬干潟の埋め立てに反対するNGOの方々が来訪。ピースボート時代から環境問題にとりくんできた関係で、見知った方々が多い。鳩山政権時代、私はNPO・NGO代表として政権に送り込まれた、という自覚で仕事をしていた。そうしたNPO的価値が後退していっているとしたら大きな問題だ。どうやって政権に働きかけていくか、意見交換。
続いて、NPO法をいっしょにつくったシーズの松原明さんが来訪。NPO議員連盟再建に向けて力を合わせていこう、と話し合う。私はNPO・NGO的な価値が日本を救う起爆剤になると考えている。このことは、NPO法をつくるころから、菅総理ともずいぶん話しをし、一致してきた（当時は私が与党で菅さんは野党だったが）。きっと今も思いは同じはず。官邸にもきちっと働きかけていきたい。

その後、日経新聞の取材。JAL問題について。これも、その後の進展が気になっている。国交省の以前いっしょにやっていた人たちからときどき報告を受けてはいるが、厳しい状況に変わりはない。しっかりチェックしていかねば。

そして、内閣府参与の湯浅誠さんが来訪。私が国交副大臣として進めていた、生活困窮者のための住宅政策などのプロジェクトの進捗を聞く。いまの社会には、セーフティネットをはりめぐらせる必要がある。運動とも力を合わせて、今後どんな立場になったとしても、必死で実現のために働きたい。

私はとにかく現場主義を貫いていく。原点であるNPO・NGOのネットワークをフル回転させて、日本を元気にしていく。その中で、リベラルの力をあわせていければいいなあ、と思う。</description>
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         <pubDate>Thu, 12 Aug 2010 17:33:16 +0900</pubDate>
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         <title>日本外国特派員協会で記者会見をしました</title>
         <description><![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="100804fpc.JPG" src="http://www.kiyomi.gr.jp/blog/100804fpc.JPG" width="400" height="300" class="mt-image-none" style="" /></span>

２０１０年８月４日
日本外国特派員協会 (FCCJ)　会見内容

みなさん、今日はお招きいただきましてありがとうございます。
私は、先週の火曜日、７月２７日に社会民主党に離党届を提出致しました。
いまは預かりということになっておりまして、まだ受理はされておりませんので、離党したという表現は正確には正しくありません。
前回はここに政権離脱のおりにお呼びいただきました。今日は離党に至った理由や、これからどうしたいかをぜひ聞いていただきたいと思います。

まず三つ大きなバックグラウンドがあります。一つめは、昨年の政権交代この意味を後戻りさせたくない、そのためには自分がどういう行動をとればいいかということです。二つめは、これは極めて個人的なことですが、私の政治姿勢というか、政治への取り組み方、手法の問題です。三つめは今後の流動化する政治のなかで、どういう勢力が日本の政治にとって必要かということを考えました。

まず二つめの政治手法ということを、自分のいままで歩んできた道をみなさんにお伝えすることで、説明したいと思います。
私は大阪で生まれています。大阪の小さな商売人の娘なんです。ですから、私は社民党に所属しておりまして、その前身の社会党は労働組合などに支えられた政党でしたが、私のオリジナルはどちらかというと商売人なんです。
大阪では小さいときから商売を手伝っておりまして、「落としどころを見つけてなんぼのもんや」というのが大阪の商売人のスタンスなんです。
ですから、自分の言い値が全部通らない、しかし譲歩するところは譲歩して、調整してお互い共存していく、これが大阪商人のやり方です。私の政治手法もどちらかというと、大阪の根性がしみついていまして、お互いに１００％意見が通らなくてもどこで調整していくか、それで少しでも政治を進めていくというのが私の手法です。
「総理、総理」ばかりが報道されて（笑）、あれが私の姿だと思ってらっしゃる方も多いんですけど、あれは一瞬のできごとなんですね。「小泉さんとの『食い合わせ』が悪かった」と言ったら変ですが。
あれも私の一面ですが、どちらかというと、もう少し現実から逃げず自分の言いたい理想や理念を達成するためには、言い分だけ言うんじゃなくて、現実から逃げずにその矛盾と格闘しながら、調整をかけて物事を進めていくという方が、本来の自分の姿だと思っております。
「何の話しをしているんや」と思わずに、忍耐をもって聞いていただきたいと思います。（笑）
それで、ちょうど私は一九八三年、二七年前にピースボートというNGOを作りました。当時は冷戦構造のまっただ中の時代でした。そのときに平和運動などに関心があったので、そういう集会や勉強会などに私は出ておりました。しかし東西が対立するなか、お互いに「反対反対」と言ってスローガンだけをかかげあう、そういう運動に違和感を感じて、ピースボートという新しいNGOを立ち上げたのです。それは一万トン級の客船をチャーターして、冷戦構造のまっただなかで東西に分かれている国々を、当時は五〇〇人の日本の若者が訪問することで、具体的なアクションで、冷戦の壁を低くしていこうというNGOでした。
当時旧来型の平和運動や市民運動からは、遊びだとか不真面目だとか、多くの批判を受けました。確かに物事を新しく作るときには、現実の矛盾ともぶちあたる。口でスローガンだけ言っているのだと美しく完結できるのですが、実際に物事を動かしてひとつのムーブメントをつくっていくときには、現実から目をそむけることはできないんですよね。それで、いまはのべ数万人の人たちがピースボートに参加し、世界のNGOとのネットワークや、国連とも協働で平和を作るプロジェクトをやっています。
私は、具体的に物事を動かして、成果をしっかりつくるという、それが社会を変えていくために大事だと考えながら、三六歳になる一九九六年まで、ピースボート活動をしてきました。

その後一九九六年に、当時の社民党の土井たか子さんから立候補要請があって初当選をしました。当時は自民党と社民党とさきがけの連立政権のなかに、私はいきなり入りました。いきなり自民党といっしょにやる政権に放り込まれたのです。市民運動とかＮＧＯをしている者にとっては、自民党といっしょに政権を組むというのは考えられなかったのですが。
私は、せっかく政権にいるから、「とれるものをとったれ」というのは変やけど、成果をあげようと思ったんですね。当時は自民党二三九議席、社民党一五議席でした。しかし社民党の一五議席が賛成しないと法案は一本も通らないというキャスティングボートを握ったわけです。それで、当時ＮＰＯ法という法律をまず作りました。これは日本ではまだなかったんです。もう自民党は反対の大合唱だったわけですが、キャスティングボートの力を使って実現しました。情報公開法もこのときつくりました。環境アセスメント法も私が担当しました。男女共同参画社会基本法も国家公務員倫理法もこのとき道筋をつけました。私は一年生でしたけれど、キャスティングボートをとって政権の中で働くという意味を痛感しました。
とくに小さな政党にとっては、どのポジションにいくかによって、政策実現への道が遠のいたり近づいたりするということを、一年生議員のときに思い知ったわけです。

そのとき自民党の竹下登さんから教わった言葉がありました。「政治の場では、自分の主張が四割通ったら御の字だ」と。そしてその後社民党は連立政権を離脱しました。そしてその離脱した後に、私たちが政権で止めていた法律がどんどん成立しました。周辺事態法です。それから盗聴法。社民党は憲法九条を守るという政党でしたけれども、憲法調査会というのが立ち上がりました。
このときに、政権のなかで成果を上げるものはあげようということと同時に、政権を去ったら、はたして自分たちがめざしていた方向が良くなったのか悪くなったのかと考えたときに、去ったとたんに私たちの側からみたら、とたんに右傾化が始まった。そこで危機感を感じて、自分たちが政権を去ったことがよかったのかどうかと思い悩んだ経験が一年生のときにあります。
これは小さな政党にとっての宿命なんですね。連立政権時代になっていますから、どういう組み合わせがよりマシな政権か、という選択になります。キャスティングボートをとる政党によっては、良くなったり悪くなったりするわけです。

その後野党になってからは、政権を奪い返そうと「総理、総理」になったわけです。自民党政権を野党共闘で倒す、と邁進したわけです。そして昨年、本当に長い時間をかけて、政権交代を果たした。ですから私にとっての去年の政権交代というのは、そういうプロセスをへて、現実的に自分たちの政策を実現するための政権交代であると、非常に強い思いをもって、いままでの人生の中で最大のエネルギーをかけて、去年の政権交代の一点に向けて働いてきました。
ですから昨年、政権が崩壊したときは非常に大きな落胆がありました。社民党は普天間の問題は譲れない一線ですから、これで政権を去るというのは仕方のないことだと思っていました。そしてその後参議院選挙がありました。この後、社民党がどういう方向で政治の立ち位置を定め、活動していくのがいいかということを、私なりに考えました。

私はやはり、社民党が大きく得票を減らしてしまったことに、すごい危機感を持ちました。社民党をご支持していただいていらっしゃる方々の支持をしっかりつなぎとめて、少しでも増やしていくためには、私はやはり、社民党の本来の姿を出して、反対するところは反対する、権力の暴走を止める役としてがんばっていく方がいいのではないか、と考えました。「政権とかに入ったら妥協しないといけないし、いうことも言われへんという立場より、これから非常に厳しい状況にある社民党が少しでも勢力を回復していくためには、独自色と旗幟鮮明、そしてきっぱり筋を通すという方向でがんばっていく、それがいまの退潮をくいとめる方向ではないか」と、私は党の会議でも申し上げました。
しかし先ほどから申し上げましたように、私自身は政権をとるという一点でがんばってきて、自分たちで政権もこしらえたわけですから、泥をかぶりながらでも現実的に理想を達成するために一ミリでも二ミリでも動かしていく、そっちの自分の立ち位置の方が、自分なりにスッキリするんですね。
ですから社民党の今後と、私が思うあり方、自分の立ち位置にずれを感じました。ですから私の方から去っていくという決断をしたというのが、一番大きな理由です。

それで、一人になって何ができるかということも考えました。しかし政治的な行動というのは、個人の意志というのが非常に重要だと思っています。ですから私は、「自分の心の声を聞いて」というと極めてパーソナルな感じがするのですが、自分でのびのびできる自分の新しいスタイルを自分なりにつくりたい――ピースボートをつくったときのようにですね――そんな気持ちで総合的に考えて、離党届を出したんです。
もう一つ、懸念することがありました。いま小さな政党がたくさんできています。しかし全部自民党から分かれて行っているんですね。私はこの間、政権交代はしたものの、日本の政治の中に、いわゆるリベラルと呼ばれてきた勢力というか存在が、非常に影が薄くなっていることへの懸念も感じておりました。リベラルという言葉の定義は別にして、自民党から民主党からいろんなところに、同じような国の形を目指す人が偏在しているのがいまの政治の状況だと思います。
ですからそういう偏在した政治状況のなかで、これから日本の政治は流動化していくと思います。この形のままでずっと行くとは思わない、そう思う人は多いと思います。
そのなかでリベラルという新しいグルーピングができるようなことを、別に大風呂敷を広げて「そのために」とは申し上げませんが、できたらいいなと。そのために自分をフリーハンドにしておきたいなという気持ちもあります。
極めて個人的な政治に対する思いもあっての離党ですので、こんなことで、この由緒ある日本外国特派員協会に呼んでもらっていいのだろうかと思いながらやって参りました。今日はご静聴ありがとうございました。

＜質疑応答＞
Ｑ、普天間問題について、どのように対処していくのか。
Ａ、私はまず二つのことがあると思っています。一つめは、一一月の知事選挙でどういう知事が当選するかということです。名護市長選挙が今年一月にあり、反対派が勝ちました。私は反対派の市長を応援しました。ですからこの知事選挙の結果によっては、現実的に動かすのは不可能に近くなるのではないかと考えています。辺野古につくるのは現実的に不可能になる。
なぜかというと、先日参議院選挙がありましたが、私は反対の候補者を応援しました。しかし自民党の候補者が勝ちました。しかしこの自民党の候補者も、辺野古に基地をつくるのは反対だといわなければ、選挙をたたかえなかったのです。そして、沖縄県議会は自民党から公明党・共産党まで全部辺野古反対です。民主党の国会議員のなかにも二〇〇人近くの人たちが辺野古につくるのは反対という署名を集めたという経過があります。その人たちとネットワークをしていきたいと思います。
それと、アメリカに対しても「敵意で囲まれた軍事施設はいざというときに役立たない」ということを伝えたいと思います。ですから、姿勢は変わりません。

Ｑ、ピースボートが去年の五月にソマリア沖で海賊に襲われて、自衛隊に救助を求めて難を逃れた。自衛隊の警戒活動に対して考えは変わらないのか。
Ａ、一つは、私は海上保安庁を先日まで所管しておりました。ですから、自衛隊と海保がいっしょになってソマリアに送られていく指揮を、国交副大臣として執っておりました。日本は法治国家ですので、行政の立場になったときには、いまある法律に従って行動するのは当たり前ですから、自衛隊と海保がいっしょになってソマリアで活動することを所管していたわけです。
しかし一方、ソマリアの現状を見てみると、海賊が減っていないという点が一点。それから、本来は海上保安庁所管の業務であろうということで、海上保安庁でも十分対応できるように、予算をつけて「しきしま」というかなり強力な船を今年から建造するということを一方でやっておりました。そして周辺諸国で対応できるように、ジブチとかイエメンとかそれらの国々の海上保安関係の人々を招いて、日本の高度な技術を学んだもらうセミナーなども各国と協力しながらやってきたんです。
そういうオペレーションをしながら、現場へいく海上保安庁や自衛隊のみなさんには、日本は民主主義の国なので、ソマリアへの自衛隊派遣に賛成の人であろうが反対の人であろうが、すべての国民を守る義務があるわけですから、そこはわきまえて仕事をするようにといってきました。
民主党もあの法案に反対しているんですよ。でも反対したと言うだけではなくて、現実にどう対応するのかというときに、全部打ち消すことは現実政治ではすぐ無理ですので、「自分たちが考える海賊対策を求める道を――さっきセミナーとか「しきしま」と申し上げましたように――自分たちが目指す方向に少しでも近づける方向に提案して実現していくのが政治だ」と考えておりましたので、そのように行動しておりました。
たぶん今のご質問、全面否定するんじゃなくて、できることから現実的に動かすと申し上げた私の政治行動の一つの例かもしれません。

Q、先月、仙谷官房長官がプレスクラブで、戦時中の韓国からの強制連行・強制労働に関する補償問題について話しをし、政府として協議してもいいのではないか、と発言された、これまでの日本政府の立場ががらりと変わることを意味するが、これについての意見はどうか。仙谷官房長官の意見に賛成か反対か。
Ａ、仙谷官房長官がどういう具体的な内容についてお話しになったのかわからないので、賛成反対はいま言いづらいです。ただ、アジアとの関係、とくに韓国それから中国に日本を含めて、これから経済的にももっと密接につながっていく時代になる中で、戦後補償の問題や、わだかまりをふくめてすべてクリアーになっているかといえば、私はまだまだ課題はあると思います。それぞれの国の言い分はあるけれども、それを率直にいいあって、解決できることは解決していく、これは日本の未来の発展のためにも必要じゃないかなと思っています。

Ｑ、先ほど「正式に離党できているわけではない」ということだったが、社民党は依然として慰留するというスタンス。それに対してどう対処するか。また辻元離党に伴い社民党内部で党首交代論が出ているが、それについてどう考えるか。
Ａ、私は離党届けを火曜日に出しました。その後木曜日に社民党の方で慰留ということをお決めになったということで、木曜日の夜に私が所属します社民党大阪府連合代表の服部良一議員が、私に「慰留ということになったのでいかがですか」という話しをいただいて、私の離党の意志は固いですと、お伝えを先週の木曜日にいたしました。それ以降誰一人慰留にきませんから、慰留とおっしゃっているけれども、意志が固いということを受け止めていただいているのかな、と思っています。
福島さんが党首でがんばってほしいと思います。私と福島さんは二〇代からの友人なのです。私の方が先に当選をしておりまして、福島さんに立候補要請をしたのも、土井たか子さんと私が口説いて議員に立候補してもらって、それ以降、お互い少ない女性議員のなかで力を合わせてがんばってきたので、私は福島さんの個性を活かして社民党を引っ張っていってほしいと思っています。
私と福島さんの個性はかなり違うんですよ。しかしそこを補完しながら政権の中でも働いていまして、私は調整型で、いろんな調整を目に見えないところでやって、そして福島さんがわっと党首として発言するということもありましたので。ですからそれぞれ少し違う道をいくかもしれないけれど、目指すところは同じだと思っていますので、がんばってほしいと思います。

Ｑ、民主党に入るという考えはあるか？
Ａ、政治は一寸先は闇ですので、民主党もどうなるかわかりませんので、なんともお答えしようがありません。

Ｑ、多数の民意を得ていない政党が政権のなかでキャスティングボートを握って、得られた民意以上の大きな発言力をもつことについての正当性についてどのようにお考えか。
Ａ、選挙の前に少なくとも、「こういう組み合わせの政権を作ります」というのをいって、選挙をたたかうことが必要だと思います。ですから前回のときは、民主党と社民党と国民新党と三党で共通政策をつくり、選挙が終わったら連立政権を担わせていただきたいということを表明して、政権交代をいたしました。やはり選挙のあとでごちゃごちゃっと組み合わせになると、民意を反映していないといわざるをえないので、できることなら選挙の前に、「こういう組み合わせでいくから、それでみなさんどうですか」と世に問うて、連立政権を構成していくのがいいのではないかと思います。

今日はみなさんありがとうございました。私政治活動今年で一五年目で、同期には渡辺喜美さんとか、河野太郎さんとか、この前まで官房長官だった平野博文さんとかみな同期なんですよ。で、今年五〇歳になりました。これから一五年の経験を生かして六〇歳までの間に何ができるかを考えて、一人からの出発になりますけど、コツコツやっていきたいと思いますので、皆さんよろしくお願いします。]]></description>
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         <pubDate>Thu, 05 Aug 2010 11:28:31 +0900</pubDate>
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         <title>私の離党届提出について</title>
         <description>私は社会民主党に離党届を提出しました。

私は今日まで、社民党で政策実現を果たしたい、果たすためにはどのようにすればよいのかを考え続けて行動してきました。それは、小さな政党にとって決して容易なことではありません。いつも現実を一ミリでも前に動かそうと苦悩を抱えながら毎日、試行錯誤をしてきました。
しかし本日、私は離党の決意をするに至りました。
これからは無所属議員として活動を始めます。願うところは、参議院選挙後の流動的な政治情勢の中で、私の政治信条を果たすべく、新たな挑戦に進みたいということです。

この間、連立政権への参加、普天間問題をめぐる政権離脱、そして参議院選挙という一連の出来事がありました。振り返って社民党の政権離脱は基本方針に照らしてやむをえなかったことでありました。私は、政治の場で筋を通す意義を大切に思います。市民の運動と連携していく重要性も十分認識し、共に行動してきました。一方で小さな政党にとって政権の外に出たら、あらゆる政策の実現が遠のいていくことも心配でした。何がこの先、社民党の正しい方向なのか最後まで悩みました。

そして参議院選挙では、社民党は比例区で２議席を確保したものの、残念ながら大きく得票を減らしました。これは一体なぜなのか。おそらく社民党の筋を通す行動は認めつつも、しかし政権と関わりながらそれを実現していく道を、もっと真剣に辛抱強く探るべきだという有権者のご批判もあったかと思います。
	
私は国土交通副大臣を経験させていただきました。それは現実の矛盾の塊への挑戦であり、利害調整の最前線でした。私は、JAL再建問題、JR不採用問題の和解、中国人観光客のビザ緩和や生活困窮者への総合的サポートなど自民党政権では成し得なかったことに取り組む中で、理念と現実を往復しながら物事を具体的に動かす、これが政治だということも改めて確かめることができました。

そんな中で、私は、現実との格闘から逃げずに国民のための仕事を一つずつ進めていきたいという思いが強くなりました。

今後も私は、憲法9条を守り、弱い立場の人たちのための政治を目指すこと、それはいささかも変わりません。また私は20代のピースボート時代から、沖縄の方たちと戦争と平和の問題に取り組んできました。普天間基地問題の解決のために沖縄の皆さんと力を合わせてこれまで以上にがんばっていきたいと思っています。

これまで私を育てて下さった社民党の先輩や同僚・党員の皆さまをはじめ全国でご支援いただいたすべての方々に心から感謝申し上げます。

私はいま、現実政治のなかで政策の実現の可能性をギリギリまで求めていく政治活動に出発したいと思います。それは、大海原に丸太で乗り出すことかもしれません。しかし、精一杯前に進みたいと思います。

2010年7月26日　　衆議院議員　辻元清美
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         <pubDate>Tue, 27 Jul 2010 18:52:02 +0900</pubDate>
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         <title>雨の中の国政報告会</title>
         <description><![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="20100613agif.gif" src="http://www.kiyomi.gr.jp/blog/20100613agif.gif" width="283" height="213" class="mt-image-none" style="" /></span>

6月13日、政権離脱、副大臣を辞任してからの初めての国政報告会「永田町航海記」を高槻で開催した。梅雨入りの初日とあって朝からの雨の中、どのくらいの方が足を運んでくださるんだろうと心配していたが、400人会場がぎっしり。

私の報告のあと、前衆議院議員の保坂のぶとさんと、共通の友人である漫画家の石坂啓さんとシンポジウム。「保坂さんには国会に戻ってきてもらわないと本当に困るんです」開口一番言ったのは私の正直な気持ちだ。教育、公共工事、年金と、ジャーナリストでもある保坂さんのフィールドはとても広く、その緻密な情報収集能力と的確な判断力にはいつも驚嘆している。

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="20100613b.gif" src="http://www.kiyomi.gr.jp/blog/20100613b.gif" width="283" height="213" class="mt-image-none" style="" /></span>

第二部のシンポジウムでは、大阪から大川あきこさんが登場。民間航空会社の客室乗務員から司法書士に転身したパワフルで魅力的な女性だ。女性3人のエネルギッシュなクロストークに、会場では面映い表情の男性もいたようだが、東京からわざわざ駆けつけてくれた石坂啓さんとのイキもぴったりで、「ふたりの息子に銃を持たせるような世の中には決してしたくない」と語る大川さんの人柄とそのパワーに会場からは何度も共感の拍手がわいていた。

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="20100613c.gif" src="http://www.kiyomi.gr.jp/blog/20100613c.gif" width="283" height="213" class="mt-image-none" style="" /></span>]]></description>
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         <pubDate>Sun, 13 Jun 2010 18:07:28 +0900</pubDate>
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         <title>菅総理の所信表明演説を聞いて</title>
         <description>６月１１日、衆議院本会議で菅直人総理の所信表明演説を聞く。
菅総理の考えは、イギリスのブレア政権が進めた「第三の道」に近いと思う。とくに今回所信のなかでとくに多くの時間をさいたのが、湯浅誠さんらの提唱するライフサポート。これは国交副大臣時代に私と細川厚生労働副大臣、山井厚生労働政務官と湯浅さんらで進めてきた政策で、ブレア政権で個人の雇用促進や若者支援、絆の回復などに効果があったもの。貧困問題は与野党を超えて向かい合うべき日本社会の大きな課題。引き続き私もとりくんでいく。
また菅総理は、観光立国のための「中国からの個人観光客のビザ発行条件の大幅緩和」にもふれられた。これは私が観光立国推進会議の事務局長としてとりくみ、省庁横断の政策として力を合わせて実現したもの。観光立国推進にも、いままで以上に力をそそぎたい。
さて注目の普天間問題。菅総理の演説では「日米合意を踏まえつつ」という表現になっている。２３日の沖縄全戦没者追悼式に参加するところからスタート、という宣言だ。
思い起こせば２００７年、沖縄戦の集団自決について、教科書の記述から日本軍の関与を削除する、という事件があった。私と菅さんは９月２９日に行われた抗議の県民大会にいっしょに参加。泡盛を飲みながら沖縄の問題や政治のあり方について深夜まで語り合った。菅総理は沖縄のみなさんの声をよく理解されているはずだ。引き続き基地移設問題では、菅総理に沖縄の声をどんどん届けていきたい。

さて私は、衆議院の環境委員となった。本会議終了後、環境委員会の理事懇談会へ。理事のみなさんにごあいさつ。自社さ政権時代にはCOP3「地球温暖化防止」プロジェクトチームのメンバーであり、環境アセスメント法の審議にも関わった。また温暖化対策は国土交通副大臣として、副大臣級のプロジェクトメンバーとしてとりくんできた。運輸部門は排出される温室効果ガス全体の２割ということで、国交省としては重要な政策として認識してきたのだ。そうした問題意識から、住宅のエコポイント制も実現した。
今までは答弁する側として環境委員会に出席してきたが、これからは質問されてきた議員のみなさんといっしょに立法府の立場で参加することになる。私の政策の大きな柱は「エコ」だ。久しぶりに各党の理事会に出て、気持ちをあらたにした。しっかりやるぞ。
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         <category>00_kokkai</category>
         <pubDate>Fri, 11 Jun 2010 15:48:29 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>久々のNPO議員連盟</title>
         <description>明日の日程がなかなか定まらない。菅総理が所信表明演説を行う明日の本会議が立たないのだ。本日１１時から開催予定の議院運営委員会は開かれず、先ほど民主党と国民新党の幹事長会談が平行線で終わった様子。あとは党首会談が行われるかどうか。
８日には、外国特派員協会で、福島党首と並んで記者会見。海外メディアの方々に普天間問題をめぐる経緯を説明した。その後、地元のラジオ番組に出演。

今日は、朝から面会や取材をこなした後、久々となるNPO議員連盟の総会に出席。加藤紘一会長をはじめ、各党から多くの議員が集まった。社民党、民主党、自民党、公明党、みんなの党、たちあがれ日本（国民新党は、郵政をめぐる緊迫状況で参加できず）。座席が足らず、事務方が大慌てで隣の部屋からいすを借りてきたほど。
テーマは市民公益税制や「新しい公共」について。それにしても、本当にいろんな方がご参加いただいた。やはりNPOには「超党派」が似合う。国会議員のつながりにおおらかさを取り戻し、このごちゃごちゃ感を大事にしながら、一歩でもNPOをより使いやすい道具にしていきたい。</description>
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         <category>00_kokkai</category>
         <pubDate>Thu, 10 Jun 2010 18:30:54 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>政治が動いた１週間</title>
         <description>５月２９日土曜日、予定を早めて国際会議から帰国した私を、多くのメディアが待ち受けていた。羽田空港で急遽ぶらさがり。福島大臣が罷免された後、社民党が政権離脱するかどうかが大きな焦点となっていたためだ。深夜まで情報収集や意見交換。

５月３０日日曜日、午前１１時から社民党常任幹事会。その後全国幹事長会議で、全国の県連合からは離脱を求める声が大半だった。結果、党として離脱を決定。私も国土交通副大臣の辞任を表明した。最後まで本当に離脱でよいのかと悩んだが、このポストは私個人でなく社民党にいただいたポスト。党で決定した以上、すぐお返しすることには迷いはなかった。

５月３１日月曜日、早朝６時３０分からフジテレビ「めざましテレビ」に電話出演。その後、８時１５分からテレビ朝日「スーパーモーニング」に出演。終了後、国土交通省へ。今日の段取りについて打ち合わせ。その後、各室へあいさつまわり。公務を支えてくださった警備やドライバーの方々、さまざまな批判の声も受け止めてくださった電話交換窓口のみなさんにごあいさつに伺った。１２時より政務三役会議。前原大臣に辞表を提出し、「今後は野党の立場で追及して、協力します」。国交省の幹部のみなさんにご挨拶。本会議に向かうが、この日は２本の委員長解任決議案が出されており、日程が流動化。さらに中国の温家宝首相が来日していることもあり、本会議は断続的な開催となった。間を縫うようにして、各局のテレビに出演。さらに１３時４５分に再登庁し、職員のみなさんに最後のあいさつ。「国交省が変われば日本は変わる。しっかりがんばってほしい」と言い残して、みなさんの拍手のなか、退庁。急ぎ本会議場へ。この間に、副大臣室を現状復帰しなくては。いつ次の方が来てもいいよう、やめるときは早くきれいに。膨大な資料や、飾ってあった絵などを会館の部屋に運び込んだ。
夜、予定されていたいくつかの会合を終えて、２１時に再開された本会議へ。終了したのは２３時３０分ごろ。部屋には資料の入った箱が山積み。資料をパラパラめくると、しかかり中の案件が気になりつつ、とにかく整理、整理。

翌６月１日火曜日、朝から各所へ報告。昼にはテレビ朝日の「ワイドスクランブル」に出演。その後本会議に出席。午後は、１５時からNPO議員連盟の幹事会に出席、次の総会の段取りを打ち合わせ。その前後、各省の副大臣のみなさんへの挨拶で走り回る。合間合間で取材が入り、週刊金曜日の原稿も今日の夕方。あちこちから矢のような催促がはいるなか、ふんばって終了。

６月２日水曜日、鳩山総理の「辞任あいさつ」をテレビでみる。ご忠告申し上げた通りの結果に、また残念な思いがふくらむ。１２時から党三役会議、いくつかの取材をこなし、引き続き挨拶回り。１６時から社民党両院議員懇談会。１７時３０分、TBSの報道特番に、民主党の尾立源幸参議院議員と並んで出演。

６月３日木曜日、朝８時からの日本テレビ「スッキリ！！」に出演。久々にテリー伊藤さんとお話する。その後、社民党の常任幹事会へ。終了後、週刊朝日、朝日新聞大阪版、朝日新聞オピニオン、毎日新聞と立て続けに取材。今週末の発送に向けて、「つじとも通信」の原稿を執筆。

６月４日金曜日、１１時からの菅直人さんの演説をきく。そして、菅新総理が誕生することになった。菅さんは、ピースボート時代からおつきあいがあり、いまでももっとも親しい国会議員のひとり。市民運動出身で、世襲議員でも自民党出身でもない総理の誕生を、心から嬉しく思う。１２時３０分から社民党両院議員総会。１４時から本会議で首班指名。その後社民党控え室で新旧総理の訪問を受ける。各メディアの論説クラスの方々と電話や訪問で取材・意見交換。夕方には予定されていた会合に出席、中座して毎日放送「VOICE」に出演。会合にいったん戻り、すぐ東京駅へ。ようやく地元へ。

６月５日土曜日、朝８時からよみうりテレビ「ウェークアップ！ぷらす」に出演。その後、選挙カーに乗って島本と高槻を移動、街頭演説。１５時３０分から、地元高槻や大阪府庁のメディアの方々と懇談会。その後地元で支えてくださっている方々に一連の経緯と、次の展望について話す。その後、伊丹空港へ。一路羽田へ向かう。

６月６日日曜日、朝７時４５分からフジテレビ「新報道２００１」、１０時からテレビ朝日「サンデーフロントライン」に出演。まっすぐ羽田へ向かって、再び伊丹空港へ。まっすぐ高槻へ向かい、各所で街頭演説。明日も出勤される皆さんへ向けた街頭演説と、地元の挨拶回りをする予定だ。

私自身のポジションもそうだが、何より政治が激動した１週間。ますます政治が流動化していく中で、どれだけの成果を上げられるかが勝負だ。ステージはすでに、参議院選挙に向けて動いている。しっかりがんばろう。
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         <category>00_kokkai</category>
         <pubDate>Sun, 06 Jun 2010 23:05:15 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>高槻・島本で街頭演説</title>
         <description><![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="20100506shimamoto.gif" src="http://www.kiyomi.gr.jp/blog/20100506shimamoto.gif" width="425" height="278" class="mt-image-none" style="" /></span>
6月5日、島本町コープ島本前で。

約一ヶ月ぶりの地元。島本町と高槻市で街頭演説をし、この間の一連の出来事についてご報告をさせていただいた。「政治はあきらめたら終わりです。立ち位置は変わりましたが、言わなあかんことは言うていくという立場で頑張っていきたい」としめくくった。

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="20100605takatsuki.gif" src="http://www.kiyomi.gr.jp/blog/20100605takatsuki.gif" width="425" height="298" class="mt-image-none" style="" /></span>

JR高槻駅陸橋で演説のあと、「こないだ出会ったの覚えてはります？」と話しかけてきた女性に「あ、摂津峡さくら祭りでおうたやんな」と言うと「えーっ、覚えてはるんですか」とびっくり。]]></description>
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         <category>01_blog</category>
         <pubDate>Sat, 05 Jun 2010 20:19:03 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>新旧総理のごあいさつ</title>
         <description><![CDATA[６月４日。衆議院の首班指名終了後、管新総理、鳩山前総理が、衆議院内にある社民党の部屋へごあいさつに見えられました。

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="! IMGP0749-400.jpg" src="http://www.kiyomi.gr.jp/blog/%21%20IMGP0749-400.jpg" width="400" height="266" class="mt-image-none" style="" /></span>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="! IMGP0769-400.jpg" src="http://www.kiyomi.gr.jp/blog/%21%20IMGP0769-400.jpg" width="400" height="266" class="mt-image-none" style="" /></span>


しばらくして、鳩山前総理が、平野官房長官とともに見えられました。

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="! IMGP0830-400.jpg" src="http://www.kiyomi.gr.jp/blog/%21%20IMGP0830-400.jpg" width="400" height="266" class="mt-image-none" style="" /></span>

平野官房長官から『もう一度まきもどして（文章を差し替えて）閣議決定をやり直せないかな？！』との発言に、『歴史はもどせません！』とお応えしました。

鳩山前首相は、『まだ生きてます』と言い残して帰られました。

その後、廊下に出ると今日はたくさんの小中学生が見学にきていて、握手とサイン攻めにあいました。

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="! IMGP0853-200.jpg" src="http://www.kiyomi.gr.jp/blog/%21%20IMGP0853-200.jpg" width="200" height="133" class="mt-image-none" style="" /></span><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="! IMGP0871-200.jpg" src="http://www.kiyomi.gr.jp/blog/%21%20IMGP0871-200.jpg" width="200" height="133" class="mt-image-none" style="" /></span>]]></description>
         <link>http://www.kiyomi.gr.jp/blog/2010/06/05-1999.html</link>
         <guid>http://www.kiyomi.gr.jp/blog/2010/06/05-1999.html</guid>
         <category>00_kokkai</category>
         <pubDate>Sat, 05 Jun 2010 14:44:09 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>社民党は政権を離脱、私は国土交通副大臣を辞任する決意を表明しました</title>
         <description><![CDATA[５月２５日より、ドイツで開かれた国際交通フォーラム大臣会合に、前原大臣の代理で出席しておりました。その間、福島大臣の罷免などの政治情勢を受け、急遽日程を繰り上げて２９日に帰国いたしました。
私に対しても、パリを出発するときや成田空港に到着してからぶら下がり取材がありましたが、情報が少なく何もお応えすることができませんでした。

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="IMGP0597-400.jpg" src="http://www.kiyomi.gr.jp/blog/IMGP0597-400.jpg" width="400" height="266" class="mt-image-none" style="" /></span>

本日東京で開かれた常任幹事会で、社会民主党は連立政権からの離脱を決定いたしました。それに従い、私は国土交通副大臣を辞任することを決めました。明日、大臣に直接辞任届を渡すことになります。

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="IMGP0630.jpg" src="http://www.kiyomi.gr.jp/blog/IMGP0630.jpg" width="400" height="266" class="mt-image-none" style="" /></span>

この間、私は、国交副大臣として２３年間未解決だったＪＲ不採用問題、湯浅誠さんらとともに、仕事を失った人たちのための住まいのセーフティネットづくり、すべての人の移動の権利を保障する「交通基本法」の検討などの諸課題に取り組んで参りました。こうした課題が解決に向かい大きく前進したことは社民党一党では困難であり、民主党・国民新党の連立政権の成果と考えます。私自身にとっても、国交副大臣として霞ヶ関の内部からの政策決定のプロセスや、政権交代後の新しい政治のしくみを経験したことは大きな価値があり、これからの私の政治活動に活かしていく所存です。

ＪＲ福知山線の事故被害者のみなさまには、お叱りを受けるとばかり思っていたところ、「二度とこうした不幸な事故を起こさないよう、力をつくしてほしい」という激励の言葉をいただきました。交通基本法の検討にあたっては、多くの当事者団体やＮＧＯ、実践者や有識者のみなさまから激励やお知恵をいただきました。感謝を申し上げるとともに、これからも国土交通行政をよくしていくため、お力を貸していただきますようお願い申し上げます。
そして政権交代直後の補正予算見直しに始まりいっしょに悩み走り続けた前原大臣をはじめ政務三役のみなさん、ＪＡＬ問題や観光立国など次々やってくるミッションに共にとりくんだ国交省のスタッフのみなさん。国民生活をよくするための諸課題につきまして、これまで同様がんばって取り組んでください。
なにより国民のみなさんへ。いま国交省がチャレンジしているのは、日本のグランドデザインを書き換える重大なとりくみです。「移動の権利」「住の権利」など、戦後政策の根幹を変えようというものです。ぜひ引き続き注目いただきたいと思います。私も最後の１分１秒まで職務を全うし、今後は閣外の立場から、おかしな方向に行くようなことがあれば、厳しく修正を求めていきます。

あらためて、社民党・民主党・国民新党の三党が連立政権を組んで新しい政治に挑戦した意義は大きく、それだけに今回の政治状況により連立が解消されたことは残念でなりません。しかし普天間問題は社民党にとって野党時代から取り組んできた最重要課題であり、辺野古案に戻すことは普天間問題の解決をもっとも遠ざける道であると考えます。沖縄の人々が県民集会を開くなどして明確に表明した意志に反する点においても、日本の安全保障上の観点からも、辺野古案を容認することはできません。

連立政権とは、違う政党が政策合意をして政権運営をしていくものですから、違いがあって当然です。したがって、とことん納得するまで話し合うプロセスがきわめて重要であることを、私はかつての自社さ政権や市民運動の経験から学びました。その意味では、いきなり「辺野古」に戻そうとしたプロセスは不十分であったと言わざるを得ません。

今後の政治がどうなるかはわかりません。ただ、未解決の課題がたくさんあることは事実です。政権を離れたいま、絶対に改憲への道を歩ませないなど、社民党の役割はますます大きくなっています。雇用や環境など、三党の政権政策合意の実現は国民への公約です。この約束を果たし、少しでも政治がよい方向にいく道を探していくのは、「もう古い政治に戻したくない」という国民の意思に対する私たちの責任です。しっかりその責任を果たしていくつもりです。]]></description>
         <link>http://www.kiyomi.gr.jp/blog/2010/05/30-1995.html</link>
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         <category>00_kokkai</category>
         <pubDate>Sun, 30 May 2010 22:11:29 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>保坂展人さんの激励パーティーに参加</title>
         <description><![CDATA[５月２５日から３０日まで、私は前原大臣の代理でイギリス・ドイツ・フランスを訪問する。ライプチヒで行われる「国際交通フォーラム大臣会合（ITF2010）に出席するためだ。短い旅程だが、各国の運輸大臣との会談や専門家セッション、各地の公共交通機関視察など、もりだくさんのスケジュールになっている。

５月２４日、海外出張に向けての準備に忙殺されるなか、会合に参加。
セーフティ・ネットワーク実現チームの第２回会合に出席。家賃補助を巡る現状についての報告を受けた後、東京都福祉保険局生活副支部長の庄司さんから東京都における生活保護の現状について、またNPO法人北九州ホームレス支援機構の森松さん、NPO法人ユースポート横濱の鈴木さんからパーソナル・サポートに関連した現状の取組などについて、実例を交えながら報告をいただいた。その後、中間とりまとめ案を発表。「パーソナル・サポート（個別支援）」サービスの導入と「居住セーフティネット」の確率について整備検討を進める、という案だ。
その後連合の２０１１年度政策要請に出席。夕方からは交通基本法検討会に出席。

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="100524hosaka.JPG" src="http://www.kiyomi.gr.jp/blog/100524hosaka.JPG" width="300" height="452" class="mt-image-none" style="" /></span>

夜には、保坂展人前衆議院議員の激励パーティーに参加。ぜったいに保坂さんを国会に戻したい、と会場を埋め尽くした多くのみなさんと決意をあらたにした。]]></description>
         <link>http://www.kiyomi.gr.jp/blog/2010/05/24-1994.html</link>
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         <category>00_kokkai</category>
         <pubDate>Mon, 24 May 2010 23:49:08 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>日本とベトナムの未来へ</title>
         <description><![CDATA[５月２１日、ベトナムのデュック副大臣が国交省にこられた。８階の国際会議室で、高速鉄道や空港のアクセスなどについて、ベトナムと日本が全面的に協力するという内容の署名式があったのだ。先日前原大臣がベトナムを訪問して、日本の新幹線方式による南北高速鉄道の計画実現に向けた協議を行った。私はその下支えの実務を行ってきたのだ。

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="100521dhuku.jpg" src="http://www.kiyomi.gr.jp/blog/100521dhuku.jpg" width="400" height="300" class="mt-image-none" style="" /></span>

今後いつになるかはまだわからないが、いつかベトナムに新幹線が走ることになったとき、今日が、二国間で具体的な協力関係がつくられたスタートの日ということになる。
２５年前からベトナムを訪れてきた私にとっては、本当にうれしい日だ。]]></description>
         <link>http://www.kiyomi.gr.jp/blog/2010/05/21-1993.html</link>
         <guid>http://www.kiyomi.gr.jp/blog/2010/05/21-1993.html</guid>
         <category>00_kokkai</category>
         <pubDate>Fri, 21 May 2010 19:42:49 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>タブーなき議論を通して、政策の具体化を――中国人の個人向け観光ビザ問題、JR不採用問題、交通基本法、成長戦略会議</title>
         <description>大きな課題をひとつずつこなしている。

５月１７日。観光立国推進本部の第3回外客誘致ワーキングチーム。座長は私で、事務局長は藤本祐司国交大臣政務官。メンバーとして福山哲郎外務副大臣、大串博志財務大臣政務官、階猛総務大臣政務官、また法務省や厚労省、警察庁からも幹部が出席して審議。これまでは富裕層に限ってきた中国人の個人向け観光ビザの発給要件を大幅に緩和し、中間層にも広げることに決めた。スタートは今年７月。いま中国からの観光客は大幅に増えており、経済活性化のためには不可欠となっている。このきつい制限をやっと緩和できたのだ。これまでの政権でも問題になりながら、できなかったことのひとつ。

その後、JR不採用問題について４党から要請を受ける。係争中の原告９０４人から解決案の承諾書が提出されたのだ。これを受けて前原大臣が、旧国鉄清算事業団の業務を引き継いだ独立行政法人「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」に、この裁判の和解協議に入るよう指示をした。また一歩解決に向けて歩みを進めたことになる。

続いて交通基本法検討会。業界団体などからヒアリング。検討会もいよいよ大詰め、猛スピードで会議を積み重ねていっている。

そして成長戦略会議。１０月から議論が重ねられてきた国交省の成長戦略がとりまとめられた。座長の長谷川閑史・武田薬品工業社長が、海洋、観光、航空、国際展開・官民連携、住宅・都市の5分野の成長戦略について提言を取りまとめ、前原大臣に最終報告を提出した。私たちは2011年度の概算要求に、提言内容を反映していく。
これまでの政権ではできなかった課題を、タブーなき議論を通してひとつひとつ具体化している。プロセスのひとつひとつを公開していくことで、政権交代の「成果」を伝えていきたい。</description>
         <link>http://www.kiyomi.gr.jp/blog/2010/05/18-1992.html</link>
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         <pubDate>Tue, 18 May 2010 14:33:03 +0900</pubDate>
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