つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)

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2006年4月13日 日本国憲法調査特別委員会

2006.4.13

議事録

辻元委員

わかりました。

それではもう一点、ちょっと関連してなんですけれども、何を選択するかなんです。ですから、今の延長線で申し上げますと、例えば憲法をめぐる議論でも、どういうところを選択して議論を進めていくのかということも、これは個別課題としてもありますが、一般的にニュースや番組で何を選択するのか。

一例を挙げます。私、これは率直にがっかりした件を一例申し上げたいと思うんですけれども、ちょうどイラク戦争などの社会的な問題がクローズアップされているときに、ずっと一日じゅうピアノマンというのが報道されていたんです、ピアノマンのなぞとかいうふうなのが。本当に、一般のニュースまでそれがトップニュースのような形だったんですね。そういうときに、局としてどういう基準でニュース及び話題の選択をされているのか、非常に疑問に思いました。

堀参考人にお伺いしたいんですけれども、こういう疑問、意見、いかがお考えでしょうか。ちょっと私はやはりバランスを欠いていると思うんですね。

堀参考人

バランスを欠いているかどうかという点については、私、個人的な意見はありますが、ちょっと置かせていただきまして、ピアノマンという不可思議な男の出てきて消えるまで、正体がわかって消えるまでというのは、メーンを張るかどうかは別にしまして、視聴者の中である程度知りたいという要望のあるニュースだったのではないかというふうに考えています。

辻元委員

個別のことについては申し上げないんですけれども、そのバランス、何を選択するかや、その中立性のトータルなバランスということも私は気になっております。

そういう中で、もう一点、中立性と、それからもう一つ、報道機関には権力をチェックしていく、権力の暴走というものの見張り番と言ったらちょっと大げさですけれども、そういう役割としても重要なポジションだと思うんです。これは先ほどの笠井委員からもありましたけれども、私たちの歴史の中でも、翼賛的な体制の中に報道が組み込まれた、または大本営発表というような言葉も戦前はございましたけれども、そのようなことになってしまっては、それこそ憲法をめぐるどころか民主主義の根幹が崩れてしまうと思います。そういう、権力をチェックしていくということと中立性ということについての関係といいますか、お二人にお伺いしたいと思います。

石村参考人

なかなか、非常に難しい問題で、絶えず我々が突きつけられている問題でもあると思います。

権力側へのチェックという意味では、これはかなりの部分、個々の記者とかディレクターの資質とか視点とか、そういう部分にかかわる部分が非常に多いと思うんですよね。それで、いかに多角的な複眼的な目を持って物事の実相を追求できるかという、資質の研修とかそういう部分を私としては重要視して、そういう育成をしていきたいというのが日常での仕事の中では考えております。

堀参考人

中立ということと権力へのチェックということは、必ずしも対立する概念ではないというふうに思っております。

我々が日常的に何を放送するかということを決め、ラインアップを考えていくというところでは、先ほど石村参考人が言われたように、個々の記者の資質あるいはディレクター、あるいは新聞で言えばデスクの考え方というのがある程度尊重されるということはありますが、そこに中立というバランスの問題を我々は常に考えていくことが大事なのではないかと思っています。

そのときに、その中立は、振り子がどっちへ振れているかというそのバランスを見ながら、我々の本来の報道あるいは番組を提供するという業務の中で、バランスをとっていくということが可能だということをお話ししたいと思います。

辻元委員

石村参考人にお伺いしたいんですけれども、先ほど、この国民投票制度をめぐっては、何を世に問うのかというところで、政策についての是非を問う、選挙とは違うというような、お話の中にそういう発言がございました。私は、果たして政策なのかなと思うんですよ。これは、要するに主権在民で、要するに国会や政治、政党がマニフェストを出して、これはどうですかというようなものではない。主権者がその政策をどの範囲でつくっていいかという最高の規範をつくるものであるというように思いますので、ここはちょっと政策ということと違うんじゃないかと思います。

なぜそういうことを申し上げるかといいますと、報道する側が、例えば憲法という最も重要性の高いものを報道したり、それから、さまざまな形で討論などをしていく場合に、憲法とは何かというところをきちんとつくる側も御認識いただかないと困るなと思う。よく個別政策について記者の方とか取材に来られる場合に、その政策についてほとんど知らない方が、担当になったからといって飛んで来られたりする場合があるわけですが、事憲法となりますと、そういうそれぞれの報道に携わっている人たちのものでもあるわけですから、政策の是非というのはちょっと違うと思うんですが、いかがでしょうか。