つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)

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2006年11月16日 日本国憲法調査特別委員会

2006.11.16

議事録

井口参考人

先ほどもっと明確に答えればよかったかもしれませんが、私自身も、むしろ切り離すというか、多分、辻元議員が引用していただいた論文の中でも述べていると思いますけれども、むしろ発議と国民投票による承認という原理の異なるものを一つの法案として入れていることによって、制度設計上、非常に問題がある場面が多いのではないのかというふうに思っています。

そういう意味で、僕自身も、切り離して国会は国会法でという立場でいいと思うんです。先ほど紹介しましたように、いわゆる憲法議連ももともと切り離しの議論だったはずなんですね。切り離した上でどっちを先にやるかということで、今まではどちらかというと国民投票ということを表に出してきたわけですね。その点については、僕は偶然ではなくて意図的な演出というふうに思っています。

なので、結論から言ったら、僕は、切り離して議論するということ自体は、それで賛成をいたします。ただ、切り離して、調査というのは僕はよくわからないんです、先ほどから繰り返し言いますように、何を調査するんだというのがよくわからない。それは日常的にやることだというふうに思っております。

以上です。

辻元小委員

それでは、質問を一点と、先ほどからちょっと議論になっています憲法をめぐる状況について意見を述べたいと思います。

井口参考人にお聞きしたいんですけれども、井口参考人は、先ほどお話しいただいた中に、両院協議会とか、それから一院で否決された場合のことについて余り詳しくお触れにならなかったと思いますので、ほかの先生方はちょっと触れていただいたと思うんですが、その点についてお伺いしたいんです。といいますのも、私は子供のとき憲法を習って、九十六条を見まして、衆議院と参議院で三分の二と書いてあったので、どっちかで否決されたら終わりやと思っていたんですよね、どっちかで。

それともう一つは、国民投票というのは、かけられてそれが一回否決されたら、またゾンビのようにか何かわからへんけれども、また一定の期間をかけて同じ案がかけられるということは、一回否決されているんだからそういうことは考えられないんじゃないか。これは憲法を学んだときにそのように思っていたんですけれども、その点について意見を伺いたいと思います。

一回否決されたものが、また同じものが一定期間を置いて提出される、問われるということについてはどのようにお考えか、この際ちょっとお伺いしておきたいんですけれども、では、高見参考人と小林参考人にその点をお伺いしたいと思います。

それと、意見なんですけれども、憲法をめぐる議論で非常に錯綜するのは、これはヨーロッパの調査団の方も各国でその点はいろいろな御意見を伺ってこられたようなんですけれども、大上段に国家観を語るんだ、国家観を示せとかいう話から入っていくと、憲法改正の議論というか憲法をめぐる議論はわなに陥るみたいな話が、保岡さんがふんふんふんとおっしゃっていますけれども、新憲法草案を出しておきながらとかいって。

要するにここに問題があるから、法律もそうですよね、ここに大きく問題があるから法改正をしようというのが法律の取り扱いで、憲法についても、実際に憲法改正を議論したまたは行っている国々からのアドバイスは、ここに大きな問題があるから、そして合意をしやすい部分からやらないと、いきなり国家観をそれぞれぶつけ合うともう身動きがとれなくなるというような話がありました。

私は国家観を語るのはいいと思いますよ。私も大分語っている方ですから。しかし、事憲法というものを取り扱うときに、そこだと空中戦になるし、何か言っているようでやっていない、放言大会になっちゃうので。ですから、憲法をめぐる調査、議論というのはなかなか難しいのかなという気がしているわけです。

そうすると、先ほど赤松委員がおっしゃった、現憲法についてどう見るか、私はこれは議論をやった方がいいと思うんです。非常に憲法議論で不幸なのは、私は、この委員会でも何回も、今の憲法についてというか内容で皆意見を闘わそうよとずっと言ってきました。一つは、何でも反対だと言う。これはもうそれを言ったら終わりになっちゃうから、では、どういう点で現憲法をどう活用していこうとか、どういう点が評価されてきたかということを議論すべきだ。

しかし、これは、憲法を変えた方がいいという立場の人も、現憲法について、戦後私たち日本は歩んできたわけですから、ここまで来たわけですから、この点についてはよかった、ここはしかし問題だという、やはり改憲、護憲を問わず両方議論すべきだと思うんです。じゃないと、私、六十年間あの憲法はよく頑張ってきたと思いますよ、日本はここまで来ているわけですから。この点はよかった。

例えば私なんかですと、男女平等なんというのに物すごくこだわります。六十一年前はこんなところに座っていられなかったわけですから、おかげで物すごいここで発言回数かなり多くしゃべっていますよね。ですから、これはあれがなければ実現しなかったわけです。一方で、男女平等についても、今、やはり少子化の原因は女が働いたからだという意見もあるわけです。しかし、よく働いて男女平等を徹底的に実現しているところの方が少子化がとまっているという現実もあるとか、いろいろ議論していますよね。ですから、現憲法について語るとき、いいところについても、私は護憲、改憲問わず議論するべきだと思います。

それと同時に、私はずっと本委員会でも言っておりますけれども、そもそも憲法とは何かを集中審議するとか、やはりそういう基本的なこともお互いに議論を交わしていく中で調査、物事を進めていかないと、何か対立行動ではないと思うんですね。

もう一つ思うことは、その中で私が不幸だなと思うのは、憲法は古いからとか、それから制定過程に問題があるといって切ってしまうと、そこで思考停止しちゃうんですよ、中身じゃなくて。そうすると、それを根拠に変えろというのは、私は稚拙な議論に踏み込みかねないと思っていますので、そうじゃなくて、中身について、では今のどこがどう古いのかという中身を言わないとだめだと思います。

ただ、調査会でも、制定過程については、制定過程にこだわってそれに引っ張られるべきじゃないという調査の結果になっておりますので、安倍総理大臣がまだそう言っていらっしゃるので調査報告書を読んでいただきたいとは思いますけれども。ですから、そういうきちっとした議論は続けていく。その場をどこにするのかということについて、憲法審査会という性質のものよりも、もうちょっと自由に話せた憲法調査会というものの中でさらに深めていくということが大事ではないかと思っています。

では、質問の点、よろしくお願いします。

井口参考人

二院制にかかわる部分ですが、これは私の憲法の認識で言いますと、憲法が二院制をとっている、二院制でそれぞれ独立しているのが原則である、自律権が与えられているのが原則である、両者の関係については対等であるのが原則である、憲法がその中で例外的に衆議院の優越を認めている条項は幾つかある、これが基本的な立場だというふうに思っています。

ということは、日本国憲法の九十六条で衆議院の優越が認められていないということは、それだけそれぞれの院の独立性が強いというふうに理解すべきなのであって、やはり私は、一院で三分の二を集められなかった、成立しなかったという場合は発議の不成立であると理解すべきであるというふうに思っています。

もう一点言っておきますと、先ほど言った三分の二の集め方の問題ですね。もし一院が否決した場合に何らか調整するというのは、まさに国民との関係を言ってみれば切ってしまって、衆議院がこうで参議院がだめだったから、では、こうこうこの程度で変えましょうということですから、これはやはり憲法がイメージしているものとは少し違うのではないかなというふうに私は思っています。

もう一つ、同じ理由でというのは私への質問でもあるでしょうか。一般的には、衆議院の解散について、同じ理由で解散できないという、憲法習律と言ったりされるときがあります。同じことだと思うんですね、国民投票についても。ある種憲法習律というか、同じ理由ですぐ同じ発議をするということは許されないというふうに思っています。

ただし、これは習律の問題ですから、では一定の期間を置いて永遠にだめなのかというと、それも必ずしも僕はそうではないというふうに思っています。では、期間としてはいつなのかと言われると、それはあくまで習律の問題だから必ずしも確定的な答えはできませんけれども、基本的にはそういう習律の問題として、国民投票で否決されたら同じ理由で再度すぐかけるということは許されないというふうに思っています。

以上です。

高見参考人

後者の方だと思うんですけれども、一回否決された場合の扱いということだと思うんですが、これは、国会の中で議決したものについて、同じものは基本的にできないというか、一事不再議になりますので、それと基本的には同じだと思います。

ですから、例えば事情が変更するとか、あるいはかけられる発議された改正案の中身が違っていれば、同一でなければ、それは新たな手続で発議に出てくるということはありですけれども、全く同じものであれば、事情変更がない限り一事不再議の原則にかかってくるだろうというふうに考えております。

済みません、ちょっと最初に枝野先生が言われたことに関連しているところがあるので、この機会に一点だけ発言してよろしいでしょうか。

近藤小委員長

できるだけ手短にお願いします。

高見参考人

合同の審査会を衆参で開くことの趣旨として、どっちかの院で原案を審議している最中にやるわけではなくて、むしろその前に、原案を作成するところでこの合同審査会ということを予定しておられるんだということを言われたと思うんです。

合同審査会の普通の持ち方というのはちょっと、過去の例といっても戦後すぐのものしかありませんので事実がはっきりしませんが、確かに初期には、議事録等を見てみますと、合同審査会でこれから議論すべきこと、原案じゃなくて、できるだけ粗ごなしにするということで一回か二回開いているという例はあるようなんです。しかしながら、最近の例ですと、合同審査会というか、むしろ合同協議会というか、合同会議というような形で開かれているんじゃないでしょうか。

例えば、消費税の見直しの問題でありますとか、副大臣とか、政府委員の廃止についての国会改革のときでありますとか、あるいは国会移転、あるいは社会保障制度の見直しですか、その場合に両院の間で、合同協議会ですか、あるいは合同会議ですか、そういった名称で何か開かれておりますので、むしろそういった性格のものであれば、合同審査会はどうして消滅したのかということについてやはり検証は必要だと思うんですけれども、国会法四十四条の規定を生かして、それを憲法審査会について合同審査という形でしっかりとした枠組みをつくるのか、それともデファクトな形で合同会議といったような方式でやるのか。それは、選択肢としてはあり得ると思うんです。

以上です。

小林参考人

一度否決された改憲案を、改めて後にそのまま国民投票に付せる、付せないはなぜかですね。

これは、国家の資源は無駄に使ってはいけないという単純な理由がありまして、つまり、全く政治情勢の変わらないときに同じことをやっても意味がないわけであります。なぜできるかというと、政治情勢が変われば議案は同じでも条件は違ってきますから。政治というのは生き物であって、死人に拘束されても仕方ない面があるわけで、新しい時代状況の中で果敢にかじをとる。そういう観点から、形式上同じものが後に国民投票に付されることはあり得るし、あってよい。ただ、その判断は、憲法上許されるか否かは極めて高度の政治的判断で、それは後に違憲審査に付せるようなものではない。つまるところ、国民投票で判断が下るということであります。

以上です。