つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)

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「戦争時に米輸送艦によって邦人が輸送された事例」は過去に存在しないこと(外務省)、米国政府は、米国に頼らず自国民を避難させるよう全ての外国政府に要請していること(内閣官房)を、政府は認めました:外務委員会質疑

2014.6.11

国会ブログ

本日6月11日、衆議院外務委員会で辻元清美が集団的自衛権について質問をしました。
そして、「戦争時に米輸送艦によって邦人が輸送された事例」は過去に存在しないこと(外務省)、米国政府は、米国に頼らず自国民を避難させるよう全ての外国政府に要請していること(内閣官房)を、政府は認めました。
・安倍総理が集団的自衛権行使の事例として繰り返す「戦争時に米輸送艦によって邦人が輸送された事例」は、過去に存在しないと、外務省は認めた。
・米国政府は他国の政府に対して「すべての外国政府は、自国民の避難についての計画を立て、また米国政府の手段に依存しないこと」を求めていることを、官房副長官は認めた。
つまり、原則としてレアケースであることを、あたかも一般的であるかのように訴えているのです。これは明らかな安倍総理のミスリードです。
なお、本日の質疑で、横畠内閣法制局長官は「今議論されていると承知しておりますのは、限定的な場合における集団的自衛権の行使であると理解しております。」と答弁している。法制局長官が、「いわゆる」などの注釈をつけずに、「限定的な場合における集団的自衛権の行使」と答弁したことは異例で、これまで内閣法制局がとってきた慎重な答弁から、一歩踏み越えたものという印象を受けました。
また横畠長官は、「その限定的な場合における集団的自衛権の行使というものについて、必要であるかどうか、あるいはどのようなものにするか、それ自体が与党における協議が進行中ということでございます」と答弁している。集団的自衛権は「可能かどうか」を判断するのが法制局の仕事であるはずだが、「必要かどうか」を議論する場である与党協議を理由に、「(これはだめ、これはいいという)一般的な基準ということを申し上げることは難しい」と答弁していることも、驚くべきことです。
法制局の答弁を今後、注意深く見守る必要があります。
以下、辻元清美事務所が作成した速記メモ(抜粋)を掲載します(※正式な議事録ではありません)。
20140611外務委員会質問資料.pdf
↑ 本資料は、『世界』7月号「虚偽と虚飾の安保法制懇報告書」において、水島朝穂早稲田大学教授が指摘したものです。
20140611外務委員会質問資料2.pdf
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<以下質疑>
辻元清美:
果たして限定容認論は成り立つかどうか。
法制局長官が先週の私の質問に対して、歴代長官と同じように、
「集団的自衛権については必要最小限度の範囲を超えるもの、これは数量的概念として申し上げているものではございません」と同じ答弁を認められました。
そこでお聞きしたいのですが、安倍総理が昨年の5月8日、衆議院の予算委員会でこのように答弁されているんですね。
「法制局の答弁としては、いわば集団的自衛権について言えば、国際法上は自衛権は保持しているが憲法上は行使できないという答弁をしているわけでございます。そこで、」
このあとです。
「この答弁の際にも、いわば概念として絶対概念ではなくて量的概念として、必要最小限を超えるという、当時は判断をしている」と。
「量的概念として必要最小限を超える」という、当時、これは昭和56年のことを差していますが、判断していると答弁していますが、これは法制局長官の答弁と矛盾すると思います。私は安倍総理は今までの積み重ねの間違った認識で答弁していると思いますが、長官いかがでしょうか
横畠内閣法制局長官:
前回お答えいたしました、「数量的概念ではないという趣旨は、自衛権行使の第一条件を満たしているか否か」という、そういう趣旨で、数量的概念ではないということを、法制局としてはお応え申し上げております。
それに対して、ご指摘の総理の答弁がどのような趣旨でそのようなことを、量的概念であるということを述べられたのか、趣旨がそれと同じことであるか、また異なる趣旨であるかは必ずしも存じ上げないので、その相違について申し上げることは難しいと思います。
辻元清美:
実は量的概念ではないという答弁は、かつての秋山法制局長官の答弁をそのままひいていらっしゃるんですが、これは安倍総理がかつて2004年に必要最小限度の範囲は、数量的な概念で、その範囲の中に入る集団的自衛権の行使というのは考えられる、という自説を展開されて、それに対して法制局長官が「違いますよ。数量的概念ではありませんよ」と否定しているんですよ。
ところが総理大臣になったらまた、量的概念だという答弁をしているんです。
私は今、今日は副長官にも来ていただいていますけれども、安倍総理が「量的概念だ」という自分の自説なんですね。そうではないという見解をずっと歴代内閣はしてきた。
この自説を押し通す、要するに量的概念である、だから限定容認論というのは一部集団的自衛権は成り立つんだということを基本にして、まさか閣議決定をしようとしているのではないでしょうね。いかがでしょうか。
加藤内閣官房副長官:
いずれにしましても、今の問題を含めて、与党間で協議をさせていただいておりますので、その与党の協議を待って対応していきたいと思います。
辻元清美:
安倍さんはずっとこの持論をおっしゃってるんです。じゃあ自分が総理大臣になったら、今までの議論の積み重ねや政府の解釈を自分の自説で変えてしまえ、そのために法制局、なんとかしろよ、なんとかつじつま合わせろよ、というように言われているのではないかと、私は実は懸念しているんですね。
もう1点、長官に別の角度からお聞きしたいですが、前回の私との質疑の中で、長官は「集団的自衛権の行使は国と国の関係におきまして、いわゆる戦時の国際法というものが適用になる」とご答弁されました。
これは先に外務省にお聞きします。
これは適用になるかどうかだけでけっこうです。国と国のあいだで武力紛争が生じたときは、戦時国際法、武力紛争法とも言われますが、これが適用される、国と国とのあいだで武力紛争が生じたときに適用されるのがこの戦時国際法であるのか、その点だけお答えください。
外務省・石井国際法局長:
少し詳細に渡ることをお許しいただきたいのですが、戦時国際法は戦争が政策遂行のひとつの手段として認められていた時代に発達したものでございます。
一方国連憲章のもとにおきましては原則として武力の行使は禁止されているということで、伝統的な意味での戦争は認められなくなっております。したがってこういう戦争観の変化の結果、戦時国際法のうち、戦争開始の手続きであるとか中立国の義務など、戦争が違法でないことを前提とした国際法規がそのまま適用されることはなくなっております。
一方、従来の戦時国際法のうち、害敵手段の制限や戦争犠牲者の保護などに関する国際法規は、現在の国際法のもとでも、一般に武力紛争が生じた場合には適用されるものと解釈しております。
辻元清美:
一般に武力紛争が生じた場合は適用される。要するに武力紛争が生じるというか交戦状態というか、そういう状態になることだと思います。
そこで法制局長官は、集団的自衛権の行使は武力行使をすることであると前回ご答弁されているんですね。
交戦状態にある、ということは、戦時の国際法が適用される。それは武力紛争の状態になること、いわゆる交戦状態になる。そうすると、法制局長官にお聞きしますが、前回の流れで、集団的自衛権の行使における戦時国際法の適用は、交戦状態になるということであれば、憲法9条2項の「国の交戦権は、これを認めない」に觝触すると思うのですが、いかがでしょうか。
横畠内閣法制局長官:
憲法第9条2項における「交戦権」につきましては、現在の憲法の解釈上認めております、個別的自衛権を発動した場合についても同じ問題が生じるわけですけれども、憲法9条のもとで認められる自衛権の行使については、自衛のための措置の一端でありまして、憲法第9条2項でいう「交戦権」とは別のものという整理をされております。
辻元清美:
もう一度お聞きしますが、集団的自衛権、要するに自分の国が攻められていないけれども密接な関係がある他国が武力行使した場合に、自分たちも一緒にする、という状況で、相手から敵とみなされて交戦状態になった場合、現状はこの憲法9条2項の「交戦権はこれを認めない」ということに適用されますね?
横畠内閣法制局長官:
前回もお答えしましたけれども、今議論されていると承知しておりますのは、限定的な場合における集団的自衛権の行使であると理解しております。
それがどのようなものになるかということによるわけで、今の時点で、ご指摘の交戦権との関係についてお答えすることは難しい状況にございます。
辻元清美:
ということは、限定的であればことによっては憲法9条2項の「国の交戦権はこれを認めない」に觝触しない場合もあるという理解でいいですか?
横畠内閣法制局長官:
予断的なことを申し上げるのは差し控えたいと思いますけれども、検討の結果如何であると思います。
辻元清美:
じゃあ觝触するものと觝触しないものの線引き、判断の基準は最低限どこに置くべきだとお考えですか?
横畠内閣法制局長官:
それも検討中の事柄でございまして、あらかじめ一般的にここで線が引けるということを予断的に申し上げることは難しいと思います。
辻元清美:
いや、与党や政府が検討して持ってきたものを、法制局はなにか基準があるから、「これはだめですよ」「これはいいですよ」とあらかじめ「ここからは譲れない」という基準がなければ、法制局の仕事をしていることにならないじゃないですか。その基準は何ですか、と聞いているんです。
横畠内閣法制局長官:
ですからその限定的な場合における集団的自衛権の行使というものについて、必要であるかどうか、あるいはどのようなものにするか、それ自体が与党における協議が進行中ということでございますので、あらかじめ一般的な基準ということを申し上げることは難しいと思います。
辻元清美:
「限定的」については、さきほどの「数量的概念ではない」、これは変わらないですね?
横畠内閣法制局長官:
その点につきましても、どのような、まさに限定的な場合における集団的自衛権の行使というものを考えるかというものでございまして、あらかじめ数量的である、数量的でない、というものさしで断定することは難しいと思います。
辻元清美:
先週、「数量的概念ではございません」と言いきったのではないですか? 違いますか。一週間で意見変えるんですか。
横畠内閣法制局長官:
前回もお答えしましたけれども、数量的概念ではないという趣旨は、自衛権行使の3要件の第一要件を満たしているか否かということであるという意味でお答えしてきたということでそのように申し上げたのでございます。
辻元清美:
結局その線引きは、前も申し上げました。戦争に「ちょっとだけ」はありません、行くか行かないか。その線引きは、歴代内閣が言ってきた、「我が国に武力攻撃が発生したかどうか」、この線引き以外にないんですよ。できないんですよ。
法制局にがんばっていただきたいですよ。私は応援するつもりで、法制局のみなさんが言いたいことを私が言ってるのかな、と思いつつ質問しているぐらいなんですから。ここはやはり、安倍総理はさきほど言いました自分の自説をずっと言ってるんですよ。「必要最小限度の中に集団的自衛権も入るんだ、量的なんだ。」
やっぱり、いくら総理大臣でも、自説を通すために今までの頭から変えていくのはやってはならない規範だと思います。
もう一点質問します。安倍総理は特に、邦人輸送中の米輸送艦の防護について強調されて記者会見をされています。
みなさんのお手元に資料をお配りしています。この右を見ていただいたら、「米輸送艦の防護の要請」。ですから、米輸送艦に限って質問をいたします。
まず、これまでに米輸送艦が邦人を輸送した例はありますか。
外務省・三好領事局長:
お答え申し上げます。海外における邦人の退避の事例につきましては、邦人が独自に退避した例もあり、すべてについて網羅的に把握しているわけではございませんが、政府といたしましては、お尋ねのような過去の戦争時に米輸送艦によって邦人が輸送された事例があったとは承知いたしておりません。
なお、艦船によるものではございませんが、米軍用機で在米邦人3名を輸送した例はございます。
辻元清美:
これは輸送艦を防護するという話しですから、それでは前回のガイドライン改訂時の協議について、岸田外務大臣がご存知かどうかお聞きしたい。
1999年3月18日の衆議院の日米防衛協力指針委員会、私もこれにおりました、その場に。中谷元議員がこう言ってます。
朝鮮有事に際して韓国の在留邦人の救出について、こういう発言をされています。
「当初ガイドラインにも、米軍による邦人の救出を入れて、米国が実施する項目ということでお願いをしていたが、最終的にはアメリカから断られました。自分のことは自分でやりなさい、ということで当然のことだと思います。」と発言してるんですが、ガイドラインのときに断られたという事実があったかどうか、ご存知かどうかだけお答えください。
岸田外務大臣:
ご指摘の点、事前に通告がなかったので確認しておりません。確認しなければお答えできないと思います。
辻元清美:
実は私はこのときの協議に関係した外務省関係者にヒアリングをしたことがあります。「断られた」とはっきり言ってるんですね。
アメリカは、軍による自国民以外の外国人の退避への協力は一貫してネガティブなんです。
ちょっと資料を見ていただきたいと思います。2ページ目です。
これは、外国にいる米国市民および指定外国人の保護と退避に関する国務省と国防総省とのあいだの合意メモというものです。
これは早稲田大学の水島朝穂教授が明らかにしたものなんですが、これを見ていただきますと、2ページ目、その次のページ、翻訳をしてありますが、1番に書いてありますように、
「国務省は外国政府と自国民の退避について正式の協定を締結することを控えている。」
そして、その次のページの3番、その理由なんですが、それは軍が援助しておこなわれる退避の時期とか期間、および場所を決定する米国政府の能力が制限されている。
これによって米国と市民はより多くの危険にさらされる可能性があるから、事前に他国民の避難を約束することは控える、しない、と書いてあるんですね。それではどうしようとしているのか。
この文書では、外国政府に対してどのように要請することになっているのか、あらかじめその部分を外務省に指定していますので、その部分をお答えください。
外務省・富田北米局長:
お答え申し上げます。先生がご指摘の部分は、先生がお配りになった資料の②というところだと思いますけれど、日本語の仮訳ということで申し上げますと、以下の内容になっております。
「カナダおよび英国を含む全ての外国政府は、自国民の避難についての計画を立て、また米国政府の手段に依存しないことが求められる。」
以上でございます。
辻元清美:
というのがアメリカの方針なんですよ。
これは4年前の米国統合参謀本部の非戦闘員退避作戦でも、ここではもっと踏み込んで、民間航空機などによって実施されるべきだ、とまで書いてあるわけですね。
内閣官房副長官にお聞きしたいと思います。
この事例出されましたよ。いろいろ事例を出されましたけど、つまり、安倍総理はこれを記者会見で冒頭に挙げて、何回も発言した。米国政府の基本方針は、外国人の退避は事前に約束はできない。協定を結ばない。アメリカをあてにしないでほしい。というような、だからガイドラインのときに断られて、今も方針は変わっていないはずですよ。これは外務省に確認しています。
現実は、アメリカから安倍総理が言うように、日本人を輸送してもらう米輸送艦の防護の要請が事前に来るどころか、アメリカ側は、米輸送艦による日本人の救出は、事前には約束できない、まあ自分でやってください、と。そもそも想定していないと思いますよ。
内閣官房は、このような事実をひとつひとつふまえて、この事例を出したんですか?
加藤内閣官房副長官:
基本的には我が国の国民を守るのは我が国政府、というのは当然のことであると思います。その上で今のご指摘を含めて、アメリカ側がアメリカ側の方針というのはそのとおりだと思いますけれども、ただいろいろな有事を考えたときに、起こりうべき事態の中からその事例も含めて15事例を出させていただいたわけでございます。
辻元清美:
最後に岸田外務大臣にお聞きします。
私はこれを見ていちばんびっくりしたのは米国政府ではないかと思いますよ。これかなり、湾岸戦争のとき、私は湾岸戦争の近所を走っていたことがあるんです、客船で。そのときもアメリカ人が救助してくれとサウジアラビアのジッタに集結させるから、そこに行って救ってくれと言われて、行ったことがあるんです。そのアメリカ人は、前のタンカーに救助されたんです。アメリカ政府および軍は、紛争になったら周りの客船やタンカーに「アメリカ人を乗せてくれ」とガンガン言ってくるんですよ。
これは船関係者ならみんな知ってますよ。そういう経験もふまえて、非常に違和感を持ったんですね。
最後に聞きますが、私はこれははっきり申し上げて失笑しました。総理大臣はこんなことを大げさにいちばん最初に言う、事実もふまえずに。対外的にも日本政府はこの程度の認識かと思われますよ。これ、取り消されたほうがいいと思いますし、問題だと思いませんか? 最後にお聞きします。
岸田外務大臣:
今や海外で生活する日本人は150万人と言われています。また、年間1800万人の日本人が海外に出かけていく時代です。こういった時代にあって、総理の挙げられた例は、国民にとりましてたいへん身近な、切実な問題提起ではなかったかと思います。
実際のところ、過去の例を調べますと、2011年2月、リビアにおける情勢悪化を受けて、現地から邦人が米国政府のチャーター船により輸送された例がある。あるいは2000年6月に、情勢が悪化したソロモン諸島から豪州軍艦により邦人が輸送された例がある。また2006年7月にレバノンから英国の軍艦船により邦人が輸送された例がある。こういった過去の例を見ましても、こうした例はまったくありえないことではないと認識いたします。
やはりあらゆる事態を想定して、すき間のない、隙のない体制を考えていく、こういった問題意識はたいへん重要なのではないかと私も認識しています。
辻元清美:今おっしゃった例は、私も点検しました。それは国内の紛争なんです。戦争中ではないんです。戦争中というのは相手の国からミサイルが飛んできたり殺し合いをやっているわけです。戦争中にはこういうオペレーションをやらないとアメリカが言っているかどうかという質問をしたんです。それに対して、国内の紛争と戦争はまったく違うことを外務大臣がお答えになること自身、私は認識不足だと思いますし、その例をあたかも集団的自衛権の行使を認める最重要のように総理がキャンペーンすることは、申し訳ないけど国民を欺いているんじゃないかという気持ちに私はなりました。
今までの法的な理論的な積み重ねも自説で曲げようとし、そして事実に基づかないような事例で、国民の世論の操作をしてるんじゃないかと言われても仕方がないと、私は、こんな状況で閣議決定するというのは政治に禍根を残すということを申し上げて終わります。