つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)

活動報告・国会質問・質問主意書

ベトナムへ――日本・ASEAN交通大臣会合に出席

2009.12.16

国会ブログ

12月10日から13日まで、ベトナムを訪問した。
日本・ASEAN交通大臣会合に出席するためだ。前原大臣が出席できないので、私が日本代表として参加することに。
1985年にピースボートで初めて訪問して以来、私にとって16回目になるベトナム訪問だ。10数年ぶりのベトナムは、変わらぬ活気にあふれていた。
初訪問当時は戦争が終わってわずか10年、ベトナムのどの町にも戦争の傷跡が色濃く残っていた。西側諸国からの受け入れも制限されており、日本政府がアメリカと足並みを合わせて経済封鎖をし日本人の渡航自粛するなかで民間旅行の客船を入港させるのは困難な時代だった。
そんな時代に500人の民間人を受け入れてもらおうと、私はホーチミンからハノイまでの1600キロを一週間かけて車で北上し、厳しい交渉を繰り返していた。あれから24年、ガタガタ道を北上したベトナムの南北を、「新幹線でつなごう」という話を国交副大臣としてもっていくことになるとは思わなかった。
12月10日に成田を出発、ハノイに着いたのは15時10分だ。その日の夕方にベトナム交通運輸大臣を表敬訪問し、夜にはベトナム交通運輸省副大臣主催の歓迎夕食会。
翌11日、9時からベトナム交通運輸省副大臣と会談。そしてASEAN+日本の交通運輸大臣会合。14時30分からベトナム文化スポーツ観光大臣を表敬、16時30分から共同記者会見。17時45分から対日本プレス記者会見、夜はASEAN恒例の交流会。
12日には日本の円借款による橋、道路、支援計画中のハノイ駅や鉄道などを視察。夜、空港に向かう。ハノイを出て、関西空港に着いたのは13日の未明だ。駆け足のベトナム訪問だったが、非常に得るものが大きかった。
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ベトナムのズン交通運輸大臣と日本の代表団とで会談。ベトナムのズン首相が11月に訪日した際に鳩山総理と合意した三案件(南北高速鉄道=新幹線、南北高速道路、ホアテック・ハイテクパーク)について協議した。
これまでのベトナムのターミナルや港湾整備などについて日本が支援しているが、今後さらに協力関係を進めるために、日本とベトナムの間で運輸部門の次官級定期会合を年1回程度もとう、と提言。快諾をいただいた。ズン首相が新幹線導入の意向を示されている「南北高速鉄道」など、ベトナム政府が進める大型インフラ整備事業について、今後はこの枠組みのなかで話し合っていく。
私はその後の記者会見のなかで定期協議の枠組みの創設を合意したことを発表、「ベトナムに限らず新幹線の技術を利用して世界に貢献したい」と強調した。
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シンガポールの運輸大臣と二国間会談。ともにIMO(国際海事機構)理事国に選出された二国で、日本とシンガポールはそれぞれのカテゴリーでトップ当選している。
いま日本はIMOの事務局長選挙に候補者を出そうとしている。ぜひアジアからの事務局長誕生のために、力を借りたいと大臣に要請。また運輸部門における温暖化防止対策のために連携を強めようと確認した。
シンガポール運輸大臣とは年齢が近い。もと金融機関に勤めていらしたが、首相の抜擢で立候補、要職についた方だ。右は国交省の志村大臣官房審議官。
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ASEAN+日本の交通運輸大臣会合。一列目が各国代表。日本の私とタイの代表は副大臣で、他諸国の代表は大臣が来られている。
二列目は各国随行の事務方の代表。
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私は主催国のベトナムと並んで共同議長を務めた。
日本側からは温暖化対策の枠組みを提案した。そして、すべての国の公共交通に共通する安心・安全・エコへの配慮などの対策を有効にうつために必要な交通関係のデータ(統計)を日本とASEAN諸国で統一フォーマットをつくることを具体的に提案。モデルフォーマットも提示した。
「アジア諸国の中には一本の道がないため命を落とす地域もあれば、日本のように車社会からの脱却を考えねばならない地域もある。私たちは、アジアのすべての人が幸せになるために重要な役割を担っている。それぞれの地域の特性を活かして協力し合っていこう」
「温暖化対策や共通のデータベース作りを議論することは、未来の世代へのプレゼントだという気持ちで取り組んでいきたい」と呼びかけた。
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共同記者会見。
今回は中国と韓国もオブザーバー参加。私は温暖化対策などへの今までの日本とASEANの協力プロジェクトを紹介した。
夜は交流会。ASEAN運輸大臣会合恒例の「各国歌合戦」(ちなみに外務大臣会合では演劇などのかくし芸大会が催される。各国とも終わったときから翌年の出し物の検討に入るというくらい重要視(?)されているらしい。かつて麻生前総理が外相時代に侍の衣装を着たり、田中真紀子元外相がパウエル元米国務長官といっしょにアオザイを着て寸劇をやったアレだ)。
さて歌合戦。特訓するヒマもなく、直前に私の部屋で10分間、みなで歌の練習。選んだ曲は「亜麻色の髪の乙女・ロックバージョン」。
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うまくいくかとドキドキしながらステージへ。本番、歌い始めると勝手に身体が動き始めて、日本代表団の歌にあわせてダンスを披露。ピースボート時代、世界各地の交流会を盛り上げた記憶がよみがえる。大受けで会場総立ちに。各国大臣もかけあがって踊り始めた(私の左はタイの副大臣、その左はフィリピンの大臣)。各国のなかで一番もりあがった。
翌日、ASEANの事務局長から「来年はブルネイで開催されるが、日本代表として必ず来てほしい」といわれる。「あなたのダンスがもう一度みたい」とのこと。日本は国際会議でおとなしいといわれるが、スピーチも含めて存在感をアピールしなければ。
ピースボート時代から世界を駆け回って多くの人たちといっしょにいろんな援助のプロジェクトなどをやってきた。その経験を活かし、歌って踊るだけではない「行動する国土交通外交」を展開したい。