つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)

活動報告・国会質問・質問主意書

政策実現のカナメ役として

2010.10.1

衆議院国土交通委員会の与党筆頭理事に就任しました。
昨年の今頃は国交副大臣として政府の側で政策転換や実現に取り組んできましたが、今度は国会=立法府サイドで国土交通政策の議論と実現にがんばることになりました。
今まで取り組んできた、交通基本法制定やダムに頼らない治水や観光などを前に進める牽引役が筆頭理事です。政策実現のために邁進していきたいと思います。
 昨年の9月、大臣の前原さん、副大臣の馬淵さんと私、政務官の三日月さん、長安さん、藤本さんの6人で、ダム問題やJAL危機などを抱え、改革待ったなしの国交省に入り、9月21日午前9時、私たち政務三役六人は国交省に集まり執務をスタートさせました。
前の麻生政権が組んだ補正予算をさっそく組み替える作業を開始。同日、午後1時から7時まで、私たち6人はホテルの一室にこもって、政策転換する課題、新たに取り組む課題、そしてどのように実務をこなしていくかなど徹底的に議論しました。約20項目の政策実行ペーパーを作り、仕事をスタートさせました。
「政・官・業の癒着の殿堂」扱いされていた国交省に、改革の「切り込み部隊・最前線」として乗り込む、というような意気込みでした。
みんな緊張していました。しかし、「やるぞ」という気合満々でした。
あれから一年、いち早く国交省成長戦略会議を立ち上げ、国交省が日本を元気にする牽引車になるような政策を練り上げてきました。こんな国交省の動きが、連日報道された一年でした。
私自身も、窮地にあったJALをなんとかしろ、という大臣からの緊急の指示で走り回ったり、23年間解決できなかったJR不採用問題の和解で与党・公明党、当事者の方々と政府との調整でクタクタになったり、居住セーフティーネット推進を湯浅誠さんたちと進めたり、消極的な省庁とバトルしながら中国人個人旅行者のビザの要件緩和を進めたり…。特に、「観光で内需喚起を、日本を元気に」という思いで中国から一万人の日本旅行の誘致したり(しかし、これは昨今の日中間の緊張でキャンセルに。ガッカリ)。交通基本法制定のための議論を積み重ねたり。私は自・社・さ政権時代にNPO法を作りましたが、NPO法は社会を変える力になっていると思ってきました。NPO法同様、交通基本法は環境への配慮や高齢化社会への対応に重要で、社会のあり方を大きく変える法律になると確信し、力を入れてきました。
私たちは、「改革を軌道に乗せるには2年かかる。60年続いてきたシステムや負の遺産を片付けるのには一朝一夕では無理。それまでは実績が少ないと批判されても歯を食いしばってがんばろう。これは静かな革命だ」と言いながら、具体的な実務を国交省のみなさんと一緒に黙々とこなしてきました。
だから、外務大臣は前原さんかも、という声を聞いた時、「じゃあ、だれが国交省の改革を継続していくの?」と心配になっていたのです。
そこに、「馬淵さんが大臣に」というニュースが飛び込んできて、「良かった!これで改革を続けていける」とほっと胸を撫で下ろしたのが、正直な気持ちでした。
「苦楽を共にした元同僚として嬉しいです。がんばって」と馬淵さんの携帯にメールしました。すぐに馬淵さんから「がんばる!」と電話をもらいました。その後、大臣就任会見などを見ながら、テレビの前で「マブチ、ファイト!」とエールを送っていました。
その後、思わぬお誘いがありました。「与党の筆頭理事として国交委員会をまとめて欲しい」という依頼でした。
副大臣時代、「結局、国会が強い!」と実感してきました。というのは、いくら立派な法案を作っても、国会で通らなければ、政策は実現せず、絵に描いた餅になってしまいます。その成立に向けて進める責任者が筆頭理事ですから、その役割の重要性を痛感していました。ですから、政権交代後、交通基本法案をはじめ心血を注いで取り組んできた政策を前に進めるためにお引き受けすることにしました。
それに伴い、これから、国会内では、無所属ながら民主党と統一会派を組む無所属クラブに入って活動をしていくことになりました。
本日より国会が始まります。地味だけれども、あらゆる政策実現のカナメ役になる与党筆頭理事でがんばっていきたいと思います。これからもどうぞよろしくお願いします。