つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)

活動報告・国会質問・質問主意書

地元の合意なき強硬派日米双方にとって得策ではない ― オスプレイ配備は見直しを

2012.7.24

国会ブログ

ついに、米軍の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが岩国基地に運び込まれた。
5年間で58件もの事故を起こしたオスプレイに対し、地元をはじめ全国に強い不安が広がっている。配備計画そのものを見直すべきだ。
私は初当選以来、安保委員会や外務委員会に所属し、辺野古新基地建設問題についてずっと追及を重ねてきた。
そのなかで、ひとつの焦点となってきたのが、オスプレイの配備だった。
2006年4月18日、私は安保委員会で質問。
「辺野古に代替基地をつくるというが、どんな機能を移転させるのか」。
当時の額賀防衛庁長官は、「ヘリの訓練」と明言。
しかし、垂直に利発着するヘリの訓練のためになぜ1800メートルもの長い滑走路が、それも2本も必要なのか。
これが、固定翼機としての機能も備えたオスプレイだとすれば、ぴたりと符合する。
オスプレイの配備は、辺野古新基地建設の動きと連動している。
そして辺野古は単なる「ヘリ訓練の代替基地」ではない。軍港も備えた「新型複合基地」になるのではないか、と私は指摘した。
1997年に出された「日本国沖縄における普天間海兵隊航空基地の移設のための国防総省の運用条件及び運用構想」にはこういう言葉が出てくる。
「滑走路の基準は、MV22オスプレイを第一に考慮し、定められている、海上施設はまた、固定翼機用に転換する飛行場であり、飛行場には固定翼機の滑走路基準であるA級に基づく安全許可が要求されている」。
私は繰り返し、本当にアメリカから一回もオスプレイ配備について話が出ていないのかを問いただした。政府答弁は「一度もない」だった。
このオスプレイの配備を明るみに出したのは、沖縄・辺野古の基地建設反対運動が進める「ジュゴン裁判」だった。
アメリカには公共物などを建てる場合の環境配慮基準があり、その一つに天然記念物は保護しなければならないという米国文化財保護法がある。
この法律はアメリカの国外でも適用されるのだ。天然記念物であるジュゴンが泳ぐ海にアメリカの基地をつくることは、この法律に抵触するのでは、と裁判を起こしたのだ。
その過程で裁判所がアメリカ政府に資料要求し、その中から辺野古の基地をつくるにあたっての、日米担当者の協議資料(1996年11月27日付)が出てきた。
この協議で、オスプレイについても話し合われていたことが明るみに出たのだ。
「日本政府の米軍普天間飛行場移設に対する情報」という表題のこのペーパーで、在日米軍のコメントの中に「日本政府はオスプレイ機の駐機のことを発表していない。在日米軍は早急に発表されることを望む」とある。
アメリカ側は、1996年時点ですでに、オスプレイの導入について発表をしてほしい、と日本側に伝えていたことになる。しかし日本側からは「将来オスプレイが後継機となった場合でも、同じ条件下でも対応可能とされている」と配備については触れずに、あいまいな言い回しで質問をかわす内容の想定問答をアメリカ側に示していたのです。
(詳しくは、拙著『いま、”政治の質”を変える』をご参照ください)
さらに私は日米安全保障協議委員会(「2+2」閣僚会合)の議事録を入手し、米側が「オスプレイの配備についても地元住民の理解を求めるように」と言っているのを、日本政府がアメリカ側に口どめをしているのでは、と指摘した。議事録にはこうある。
「最大の難点は、提案された滑走路の位置に関することであった。航空機が陸地の上空を飛行するようなことはいかなる状況においてもないと示唆しており、すべてのパターンは海の上に示されていた。我々は、最大限可能な限り回避するようにしても、航空機が陸地の上空を飛行する場合はあり得ると反論した。防衛庁は、断固として陸地の上空に飛行経路を示したくないようであった。(略)最重要点は、地元沖縄の人々に対してオープンでなければならない、公表されなければならないという必要性を米国は感じており、この計画に対する地元沖縄の人々の容認がこの飛行場の建設における運用上の必要条件と結びついているからである。もしこの計画のすべての側面が明らかにされないなら、この計画は失敗に終わるだろう。」
要するに、飛ぶ可能性があるということを言っていて、それをはっきり住民にオープンにしないといけない、オープにしてほしいと言っているのだ。
沖縄県民を「ごまかしとゆすりの名人」と発言して更迭されたケビン・メア在沖縄総領事は「一切飛ばないという約束はできない」とはっきり言っていた。
追及を続ける中、2007年10月19日の安全保障委員会で、航空機は周辺集落の上空は飛ばないということでよいか、という私の質問に対し、政府は
「緊急時は当然除外されるし、また、その他の場合、訓練の形態等によっては当然飛ぶというようなことはあり得る」
「それは当然の前提でございます」
と答弁。
はっきり上空を認めることはある、と認めた。しかしオスプレイの配備そのものは決して認めることはなかったのだ。
このようにオスプレイの配備には、前政権下で隠ぺいされ続けてきた経緯がある。
そして、沖縄にとっては民意を無視してきた政治のあり方の「象徴」になっていることを、どこまで野田総理は知っているのか。
日米安保体制のリアリティから考えたときも、地元の合意なく強行することが双方にとって得策とは思えない。
私は以前、辺野古問題をめぐってルース米国大使と議論したときに「なぜ沖縄があれだけ怒っているか」を伝え、「敵意に囲まれた基地はいざというときに抑止力として機能するのか」と疑問を投げかけた。
同じ疑問を、いまの政権にも伝えたい。
<新聞記事>
朝日新聞 2012年7月22日 「オスプレイ 不信の連鎖」
<議事録>
2006.4.18 「安全保障委員会」
2006.5.11 「本会議」
2007.10.19 「安全保障委員会」
2009.4.10 「外務委員会」