つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)

活動報告・国会質問・質問主意書

つじとも通信 VOL.18:政権にいた責任をかみしめつつ、次のステージへ。 連立政権の成果と社民党の役割

2010.6.10

巻頭言

つじとも通信 VOL.18
2010.6.10
政権にいた責任をかみしめつつ、次のステージへ。
連立政権の成果と社民党の役割
みなさん、こんにちは。辻元清美です。
五月三〇日、社民党は連立政権を離脱し、私は国土交通副大臣を辞任しました。本当に辛い選択でした。
私は、職を辞すべきかどうか最後まで悩みました。総選挙では、社民党・民主党・国民新党が力を合わせて、国民の暮らしをよくしていこうと訴えました。そして国土交通副大臣として、交通基本法の制定、ダムに頼らない治水やバリアフリーの充実、地球温暖化問題や観光立国などにとりくみました。
「住まいの権利」は、私が一番やりたかったことのひとつ。私は今も昔も賃貸住宅に住んでいますが、一生賃貸住宅で快適に暮らせる政策作りも推進中でした。とくに独居高齢者や子育てカップルなどが安価に入れる住宅を社会のセーフティネットとして整備することは急務。国交省と厚労省が一緒にプロジェクトを立ち上げ、事務局には元「年越し派遣村」村長の湯浅誠さんが、副主査には私が就任しました。ここでも「現場から政府の政策作りに直接参加」の実現でした。
また関西三空港問題や関西の観光、御堂筋の自転車ロード実現などの取り組みも行い、「国交省が変われば日本が変わる」を合い言葉に前原大臣や国交省の事務方のみんなと力を合わせ、必死で仕事をしてきました。取り組んできた仕事を全うできないことは無念で、涙が出てきました。
鳩山政権では、国を訴えた争議で、国側の歩み寄りによる和解も進みました。B型肝炎和解、水俣病和解、シベリア抑留者問題。とくに「戦後最大の労働問題」といわれたJR不採用問題では担当副大臣として力を注ぎました。二三年間こじれた問題だけに荷が重かったのですが、財務省とバチバチやりあい、政府内調整や関係者とのギリギリ交渉で和解へ向かいました。人づてに、当時首相だった中曽根さんが「政権交代の成果」とおっしゃったとか。社民党だけでは解決できなかった課題が前進したのは、三年前から力を合わせ政権交代を果たして生まれた連立政権だからこそ。
前政権の後始末にも走り回りました。ダム問題や作りすぎた空港問題。JAL再建問題もそうです。これは「山一證券の破綻以上」といわれ、鳩山政権発足直後の最大課題でした。
私は事務局長として連日官邸やメガバンクの幹部などと折衝を繰り返しました。JALの飛行機が世界中で飛ばなくなり、関連企業が倒産し、失業者が大量に出る—-そんなシナリオを食い止める闘いなんだと、各方面を調整しました。自分の一言が株価を左右しますから、メディアとの距離も慎重になりました。
法的整理を発表する一月の「Xデー」間近では、世界中の出先機関や窓口対応をコントロールするため、海外出張も含めたすべての予定をキャンセル。細かく指示を出し続け、なんとか無事に切り抜けたときはホッとしました。
また憲法を変えようという動きが内外にありましたが、社民党が政権内にいたからこそ一つも前に進めませんでした。
だからこそ、悩んだのです。政権離脱をして小さな野党になって、辺野古案を止められるのだろうか。選挙協力中止は自民党の復権に手を貸すのではないだろうか。政治は時々「善意で舗装された地獄への道」になることがあるが、そうならないだろうか。
「グアム」と私に答えた鳩山前総理
私は庶民代表として、何度も鳩山前総理に「直言」してきました。国民生活の苦しさ、年間千件もの米軍事故・事件に苦しむ沖縄の人たちの怒りをお伝えするのが、私の役割と思っていたからです。鳩山さんが普天間問題で揺れたときも、「自民党政権でも一〇年以上もめている辺野古案は最も実現が難しい案。固執すれば日米関係も不安定になり、政権そのものが危うくなります」と直接何度も訴えました。
アメリカとも直接、水面下の交渉をしました。普天間問題のキーマンである、さるアメリカ側の高官と極秘で会って激論をかわしました。そのとき私が、毎年沖縄で千件以上も発生する在日米軍による事件・事故の数を一覧にした資料を見せたところ驚いて「このデータをください」と言いました。私は、こんなこともご存知なくて、新基地を作れと迫っているのかと愕然としました。「社民党の協力がないと参議院では法案が一本も通らないぞ」と各方面から関係閣僚に働きかけ、昨年末は移設問題の決着は先送りになりました。これで年を越し、一月の名護市長選の勝利につなげたのです。
しかし四月にまた辺野古案が再浮上。私は本会議場で鳩山さんに強く迫りました。「辺野古にお決めになったら、総理自身が政権から放り出されますよ」。このとき鳩山さんは、ハッと顔色を変えました。そして、本当はどこへ移したいのですか? と問うと、「グアム」とお答えになりました。小沢一郎前民主党幹事長にも「幹事長のご意見は?」と聞きました。すると「海を埋め立てたらだめだ」。民主党の国会議員の大半も辺野古案に反対で、一八一名の反対署名が官邸に届けられました。
五月末、私はドイツで開かれた国際交通フォーラム大臣会合に、前原大臣の代理で出席しました。私は国際電話で官邸などに働きかけ、最後の最後まで、他の道はないのかと水面下の調整を続けました。
しかし鳩山さんは突き進み、残念なことに私が懸念した通りの結果に。
「国民が聞く耳をもたなくなった」とおっしゃいましたが、国民の声を聞く耳をもてなくなってしまったのは鳩山さんの方でした。
私の責任、そして明日へ
私自身、政権の内側にいながら辺野古移設の愚かな案を止めることができなかった責任を痛感しています。沖縄の皆さんに申し訳ないです。期待し、応援いただいたすべての皆さんに対して、この責任をかみしめつつ、私は次のステージに向かいたい。
政治の課題は山積み、そして政権交代は過渡期であり、政治は流動化します。
いよいよ菅直人さんが、総理大臣に就任します。市民運動出身者初の総理が生まれることを本当に嬉しく思います。最も親しい国会議員のお一人でした。今後もいろんな方々と協力できることは協力し、提案もし、一線を画すことは一線を画し、国民生活が少しでもよくなるようがんばります。
辻元清美