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活動ブログ

つじとも通信 VOL.21:ボランティア担当の首相補佐官として、被災者の心に寄り添い力を尽くします。

2011.4.11

巻頭言

つじとも通信 VOL.21
2011.04.11
ボランティア担当の首相補佐官として、被災者の心に寄り添い力を尽くします。
全ての力を合わせて被災者支援を
三月一一日、東日本を未曾有の災害が襲いました。多くの方が亡くなられ、いまなお哀しみと不安のなかで寒さに震える方々がいます。私は、この過酷な現実から眼をそむけることなく、未来を見据えながら、被災者の方々の生活を少しでもよくするために全神経を注いでいます。
震災から三日目、私は枝野官房長官に呼ばれました。「ボランティア担当の首相補佐官になってほしい」。「できることはなんでもしよう」と、迷うことなく引き受けました。菅総理から辞令を受けたその場で防災服を着て、全閣僚参加の緊急災害対策本部会議に出席しました。
津波で行政機能そのものが失われた市町村もあり、職員の方々も被災して疲労はピーク。この状況を官だけで乗り切るのは不可能。NPO・企業・団体・個人の自発的な活動との連携が必要です。とくに小さな避難所や自宅避難者など声が届きにくい方々へは、ボランティアの力を借りなくてはモノや情報を届けることも困難です。
また現地のボランティアは被災者の最も近くにいる人たち。そこから出てきた情報を施策に反映していく—-そうした双方向のキャッチボールをしながら連携をはかり、政府とボランティアの「潤滑油」になるのが私の役割。あくまで黒子に徹して具体的な政策実現を進めています。同時にNPOやボランティアが政府の「下請け」にならないよう目を光らせ、きちっとしたパートナーシップを築くことも私の仕事です。
就任後、私は、「被災者支援」の枠組み整備に奔走。災害対策全般の中から生活支援を切り離すべき、と各方面に働きかけました。津波と震災、原発事故が複合的に重なり、被害が広域に及んだ今回の震災では、港が壊れ幹線道路が寸断され、関東の製油所までも被害を受けました。このままでは「緊急支援」期が長期化します。そうなれば被災者の生活支援が不十分になる恐れがあったからです。
三月一七日、「被災者生活支援特別対策本部」が設置されました(図1)。松本防災担当大臣、平野内閣府副大臣、片山総務大臣、仙谷官房副長官、私に加え、関係省庁の担当者も参加する会議が連日開催されています。そこでは物資調整、医療福祉、国内外の支援受入、運輸通信、自衛隊調整、二次避難など総合的な「生活支援」を協議。給油、雇用や学校対策、金融関係調整、倒壊家屋などの法的問題処理、ご遺体の安置問題なども話し合っています。
被災地情報と官邸をつなぐ
私はこの会議に、現地のボランティアから入ってくる情報をもとに様々な提案をしています。避難所生活が長期化すれば、温かいものが食べたくなります。でも自衛隊やボランティアによる炊き出しも全てはカバーできません。そこで「自分たちで炊き出しができるための支援」を提案中。物資を政府が、そして立ち上げはボランティアが支援し、少しずつ自分たちの力で生活を建て直していく。避難所に自治が生まれ、皆さんが元気になっていく。復興の筋道を見通した支援が必要です。これは雇用にもつながっていきます。
プライバシーの問題も重要です。私は「避難所にパーテーションを」と問題提起し、翌日四万枚余りが送られました。
また、避難所でインターネットを見ることはできません。「被災者に向けた政府からの情報やメッセージを」という現地からの声を受けて「やっぱり壁新聞がいいのでは」と提案、政府公報として各避難所に張り出すことに。住まいやお金のことなど生活情報を伝えていきます。ボランティア活動を応援する募金の運用改善も議論しています。
私は官僚組織のよさを活かすと同時に、被災者の立場にたってモノを考えることが絶対必要だ、と「お役所仕事」にならないよう呼びかけ仕事をしています。このように会議の場で課題を出し合い、その日中に動き、翌日に報告するという作業を繰り返しています。
官民連携で立ち上げた「震災ボランティア連携室」(湯浅誠室長・図2)の役割は、政府窓口の一元化、関係省庁や国際機関との調整、情報提供と被災地ニーズへの対応などさまざま。政府とボランティアは対等のパートナーという思いをこめ、「連携室」と命名しました。震災直後、緊急支援の経験をもつNGOなどが動き始めていましたが、様々な規制や燃料不足などが障壁となっていました。連携室は最初の仕事として警察庁と協議し、高速道路の優先車両の条件緩和を行いました。さらにNPO・NGOネットワークや全国の社会福祉協議会、スマトラ沖地震等で活躍した国連機関や、ソーシャルメディアを駆使する「助けあいジャパン」とも連携中です。
現在私は、各種企業・団体との連携を求めて次々人に会っています。労働組合は被災地にまず三カ月でのべ二万五千人を送る活動を開始。とくに、個人ボランティアが入りづらい状況が続く福島県には、多くの働く仲間が入っています。生協関係団体は流通で力を発揮し、看護師団体は防災訓練を受けた看護師千人をローテーションで被災地へ送り続けています。
社会の絆を取り戻そう
いま各地でボランティアセンターが立ち上がっています。岩手で一六、宮城が一九、福島が二七。ボランティアの受け入れも続々始まりました。阪神淡路大震災以降、災害ボランティアのネットワークがコツコツ積み上げてきた蓄積が活かされています。四月八日には、被災地の対策本部やNGOなどとの打ち合わせで私も現地入り。
こんな連携が官邸直轄でできていること自体、世の中が変わったと実感しています。与野党議員のボランティアに対する理解も、私がNPO法を作った当時に比べ深まりました。霞ヶ関からも寝袋をもって被災地に向かう人たちがいます。
私はかつて、ボランティアとして神戸に走りました。そして国土交通副大臣として国交行政を管轄しました。現場と政府、両方を経験した一人として、被災地の方々の心に寄り添いながら力を尽くしたい。この間進めてきたNPO法改正や交通基本法、社会的包摂政策なども実現させます。そして苦しみを分かち合い、共に乗り越えた先に社会の絆を取り戻す—-そんなビジョンを抱いて、仕事を積み重ねます。
辻元清美