つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)

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2006年3月23日 日本国憲法調査特別委員会

2006.3.23

議事録

164-衆-日本国憲法に関する調査…-5号 平成18年03月23日

辻元委員

社会民主党・市民連合の辻元清美です。

社民党は、そもそも今憲法を変える必要はないと考えていますので、当委員会の設置に反対をいたしました。まして、今直ちに憲法改正のための国民投票制度が求められている状況であるとは考えていません。

先日も紹介されましたNHKの世論調査をもう一度ここでも御紹介したいのですが、どの程度国民投票法案について知っているかという問いに対して、「よく知っている」が三%、「ある程度知っている」が二四%であるのに対し、「あまり知らない」が四八%、「まったく知らない」が一八%で、六六%の人が知らないと答えています。さらに、知っていると答えた二七%の人に、成立の時期はいつにするべきかということを聞いたところ、手続を整えておく必要があるので早く成立すべきが二三%、四分の一以下であるのに対し、改正には賛否両論があるので時間をかけて議論すべきが六〇%、今の憲法を改正する必要はないので法案は必要ないが一六%でした。

このように、国民投票について知っている人の中ですら七六%、四分の三以上の人たちが、この法律は必要ない、または急ぐ必要はないと答えています。この結果は、憲法議論の主役である主権者の私たちが十分考えたり知ったりする前に勝手に決められたらたまったもんじゃないという国民の声だと要約できるのではないかと私は思います。

私たち社民党は、結局、七六%が必要ない、または急ぐ必要はないと言っているこの立場と同じだと考えております。私たちは国会の中では少数だと扱われぎみなんですけれども、広く社会全体を見れば多数の声を反映しているのではないかという思いで私はここに座っております。この国会の中と外のギャップにもっと敏感になっていただきたいとまず皆さんに申し上げたいと思います。私は、本委員会でもこのような世論調査を積極的に一度実施してみてはどうかということも提案をしたいと思います。実態をまず私たちがきっちり把握するということはとても大事なことではないかと思っているからです。

三月九日の委員会で、自民党の基調発言で筆頭理事の保岡委員がこのようにおっしゃいました。今国会中に提案され、成立されることを願いつつ、そんな言葉で発言を締めくくられました。与党の自民党、公明党からは、六月までの今国会で国民投票法を成立させたいとか、会期中が無理なら延長しても成立させたいというような声が、メディアなどを通して漏れ伝わってきたこともありました。何をそんなに急いでいらっしゃるのでしょうか。今から会期末までの三カ月で何が何でも成立させなければならない理由は見当たりません。ましてや、わざわざこのために会期を延長して成立させなければならないという性質の課題でももちろんないと思います。

さまざまな法案の中には、例えば先日のアスベスト対策にまつわる法案のように、期限を切って、早く対策しなければならないということで成立を急ぐというような場合もあります。時には会期を延長して審議することが必要なときもあります。しかし、国民投票制度は、成立させることよりも、焦らず全国民的な議論をじっくり行うことがまず重要な、そのような性質の課題ではないかと私は考えます。

私は、議員立法でNPO法成立に取り組み、その過程で国会内外の専門家や市民と議論に議論を重ねました。成立まで何年もかかりましたけれども、社会の基本的な制度設計に関するものであるからこそ時間をかけました。私たち、このNPO法成立を目指した議員から見れば同じ議論の繰り返しにも思えましたが、粘り強く時間をかけ、市民を巻き込んだ議論を積み重ねたことによって、みんなの法律だ、制度だという認識が高まり、最終的にはより使いやすい制度になったと考えています。時間をかけて、できるだけ多くの人たちが一緒に法律をつくったというプロセスを踏んだことで法律が定着しているという一つの実態ではないかと思います。

憲法という最高法規に関する国民投票制度をどのようにするかという議論の積み重ねには、このとき以上の配慮が必要ではないかと思います。私たちは、技術的な問題だけを議論して、法案策定に没頭してよいという官僚ではありません。それぞれの課題を主権者と共有するプロセスが民主主義の源ではないでしょうか。

前回の本委員会で、自民党の葉梨委員から共産党の笠井委員への反論として、こんな発言が出ました。「民主主義というのは、これはたしかチャーチルでしたか、やはりこれは大変無駄というか非効率なものです。本来、非効率なもの。そして、国民の声というのは丹念に丹念にやはり聞いていかなければならないだろうと思います。」私は、この言葉を、法案づくりを急いでいる皆さんにそのままこの場でお返ししたいと思います。国民から見れば、この議論は始まったばかりという段階じゃないでしょうか。主権者不在のまま今国会中に何が何でも成立させようというような委員会運営にならないように、まず初めに強く主張したいと思います。

次に、本日本国憲法に関する特別委員会で、憲法そのものや国民投票制度を論じるための共通認識の構築の重要性について触れたいと思います。

憲法ないし国民投票制度について共通認識を構築し、議論の土台をしっかり固めておかないと、その上で展開される憲法論議や改正手続の議論が焦点の定まらないものになってしまうという懸念を私は抱いています。本委員会での議論では、それぞれの政党や委員が、この基本認識を深めないまま、それぞれのイメージを描いて議論しているのではないかと危惧の念を抱くことがあります。そのためには、まず、憲法とは何かという基本的性格、次いで硬性憲法であるという特質、最後に憲法改正の限界についての認識を共通にしておく必要があると考えます。国民投票制度を論じる場合にも、現行憲法の性質や近代憲法の意味を軽視して論じることはできません。基本になるこの三点の認識について、改めてここで提起をいたします。

まず一点目は、憲法とは何かという問題です。

ヨーロッパでの調査では、憲法の目的は国民の信託に基づいて権力を行使する国家機関を制約することにあるという、近代的な立憲主義の趣旨を皆さんとても大切にしていることを実感いたしました。この認識は当たり前のこととしてとらえられ、その共通の土台のもとで、憲法のあり方や国民投票制度が論じられていました。私は、この認識が国民投票制度の前提として明確化されなければならないと考えています。

では、日本国内の議論の実態はどうでしょう。

国民投票制度を早くつくって憲法を変えようと声高に主張する人の中に、現行憲法には個人の権利ばかりが強調されている、国民が遵守すべき義務や規制が盛り込まれなければならないと現行憲法を非難する人を見受けます。昨年発表された、例えば自民党の新憲法草案にも、帰属する国をみずから支え守る責務など、このところはちょっと長いですから割愛しますけれども、憲法が保障する権利を公の秩序のために制限できるとの規定に見られるように、この発想が色濃く入っているように思います。しかし、これらの考え方は近代立憲主義の原理には反するものであると私は考えております。

三月九日の本委員会で、自民党の憲法調査会会長でもいらっしゃる船田委員の発言にこういうことがありました。国民投票の機会を国民に与えるという責任は果たす必要があるという趣旨の発言でした。私は、国民投票の機会を国民に与えるという発想に強い違和感を覚えました。与えるという発想が出てくるのは、憲法を主権者から権力側に向けられた指令ではなく権力側から主権者に向けられたものととらえていらっしゃるからなのかと疑念を持ちました。

現行憲法では、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、」この後が大事なんですが、「この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」と規定されています。

現行憲法では主権在民がはっきりとうたわれて、その趣旨から、憲法とは主権者が権力を縛るものであるという近代憲法の原理が貫かれていると思います。そして、この原理に反する憲法をつくることはできないと現行憲法前文で明記されていると思います。私は、この共通認識をしっかり共有した上で、さまざまな議論が進められなければならないと考えています。国民投票は、単に国会の決定を国民が追認するというものではなく、国民がみずからの意思を国の方向を決めるために自分たち自身で明らかにするものでなくてはならないと考えるからです。

この認識に立って国民投票制度を考えるならば、主権者の権利の行使としての有権者の範囲はできるだけ広く、運動は自由に、そして国民投票の制度づくりには広範囲な国民的議論の積み重ねをするプロセスが重要というようなことはおのずから導かれてくるはずだと思います。私たちは制度設計の議論をしているのだから憲法とはというそもそも論とは関係ないということにはならないと思います。これが一点目です。

次に、改正のための制度設計の基礎になる二つの認識について提起をいたします。日本国憲法が硬性憲法であること、そして現行憲法のもとでの憲法改正に限界があるのかどうかという点です。

先日の三月十六日の公明党の斉藤委員の発言の中に、「五年から七年ごとに二つから三つの項目の憲法改正が発議されるとのイメージで考えますと、」というくだりがありました。公明党内でも、日本国憲法の硬性さを軟性化してしまうと疑義も出たというお話も承りましたが、硬性憲法としての現行憲法は五年から七年ごとにころころ変えるというようなことは予定していないと私は考えております。硬性憲法であるという意味は、単に議決要件を加重したというだけではなく、多数者による少数者への圧制、多数の専制を防ぐという質的な意味が込められているということを重視するべきだと思います。選挙で過半数をとってもやっていけないことを決めたのが憲法だと言われております。

次に、三点目の憲法改正の限界について言及をしたいと思います。

三月九日に自民党の保岡委員は、投票の単位についての発言の中で、「前文を含めた全面改正というような場合には、それぞれを幾つかの項目に分割して個別投票に付すというわけにはまいらないケースもあるのではないか」と全面改正に触れられました。憲法改正権は憲法自身によって設けられた権限であるから、改正の範囲には限界があるのではないかと私は考えております。現行憲法の九十六条の二項では、国民投票によって改正が成立した場合、改正憲法を「この憲法と一体を成すものとして」公布すると定められています。この「一体を成すもの」という意味は、現行憲法の存在を前提としていることは明らかで、全面改正は認められていないと私は考えます。

憲法改正の限界は、もとの憲法との同一性、継続性が保たれるか否かにあります。これは、もとの憲法が好きだから嫌いだからとか、その憲法というものを認めたくないからとか、そういう意見で左右されるものではないというふうに私は考えております。そして、言うまでもなく現行憲法の基本理念は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義です。これを変更するようなものは憲法改正とはなかなか呼べません。したがって、そのようなものを憲法改正手続の中で行うことはできないと考えております。

憲法改正の限界があるとされているのは日本だけではありません。特に、軍部による圧制や独裁を経験した国では、その歴史から、改正の限界ということを尊重しております。

先ほど御紹介いたしました保岡委員の御発言、多分保岡委員は自民党が昨年発表された新憲法草案を念頭に置いて発言されたのかもしれませんが、この草案は、よく点検してみますに、先ほど述べた憲法改正の限界を超えているので憲法改正として考慮することはできないという指摘も出されております。全面改正でイエス・オア・ノーという一括投票に含みを残すなどということは、あってはならないことであると強くここで指摘をしておきます。

私は、国民投票制度の内容に入る前に、憲法の意味や改正には限界があるのかどうかなどの基本認識について徹底した議論をするべきだと考えています。これらの基本認識の議論を素通りして、手続法の技術的な論点整理を急ごうとする姿勢には賛同できません。その基本認識がぐらぐらしていると、私たちが憲法というものについて論じるという根本のところがぐらぐらすることになると思うので、それぞれ意見があると思いますけれども、徹底した基本認識についての議論を、改めてこの国民投票制度を論じる場できちんとそれぞれ論じ、共通認識を持っていくということはとても大切なことだと私は感じております。

最後に、最初になぜそんなに急ぐのかという発言を私はいたしました。まだ始まったばかりだと思うんですが、きょうの新聞にもこういう記事が出て、先ほどの理事会でもえらい問題になりました。自民党の久間総務会長の、調整が難航した場合に、仕方がないから自公両党で意見が一致したら法案を出そうということになっている、こういう言葉が報道されました。これは、この間見ているとはっきり表面化してきた、与党の中で、特に自民党を中心に国民投票法案づくりを急ぐ、果たしてこの背景には何があるのかというように私は思います。

このように、自民党では特に新憲法草案を出しましたので、そこから非常に発言が活発になってきていると思います。それは自分たちが草案を出されていますので早く成立させたいという思いが先走っているのかもしれませんけれども、しかし、この新憲法草案に沿った方向で憲法改正を目指している人たちが特に国民投票法案づくりを急いでいる。そして、一日も早い成立をと国民投票法案づくりを牽引している人たちが出したこの新憲法草案、本日私は幾つかの点を指摘いたしましたけれども、近代憲法の原理や現行憲法の改正の限界を逸脱しているとも指摘されております。このような指摘がある草案の方向を目指す人たちが特に国民投票法案づくりを急がすこと自体に、今日の憲法状況の不幸があるということもここでしっかり指摘をしておきたいというように思っております。

先ほどから何回も申し上げましたけれども、憲法とはそもそも何なのか。そして、この限界についてもそれぞれの意見があると思います。「一体を成す」という意味を一体どのように解釈し、私たちはどのような基本認識のもとで議論しているのかというような根本的なところの議論を素通りして、本当に、技術的に幾つかのことに特化して論点整理をしていこうという段階には至っていないというようなことを強く申し上げ、ちょうど時間になりましたので、私の発言を終わります。

以上です。

中山委員長

辻元委員に委員長として一言申し上げます。

国民投票法制度を早急に整備しろということは、昨年の四月十五日、各党の御参加のもとで憲法調査会で、決はとりませんが、全部整理をした中に国民投票の問題が大きくクローズアップされてきて、本会議における私の報告でも、国民投票法制度は憲法九十六条に基づいて可及的速やかにこれは成立させるべきである、こう申しておりますので、その点、御理解をいただきたいと思います。

次に、滝実君。

滝委員

国民新党・日本・無所属の会の滝実でございます。

ただいま辻元委員から、憲法問題の基本的な点について、大学の憲法学の講座でも聞けないような、わかりやすい、非常によくまとめた意見を拝聴いたしました。私は、その一つ一つについてはもっともだと思う点が多いのでございますけれども、ただ、この国民投票の問題と基本認識の議論がきちんとできなければいけないという問題とは、多少ニュアンスが違ってくるんじゃないだろうかな、こういうふうに思います。

私は最初から、国民投票制度を議論するということは国民全体の憲法に対する認識を改めて深めていく、そういう意味があるというふうに考えてまいりました。したがって、私は、辻元先生の意見は貴重な意見でございますけれども、やはりこういう問題は具体的な改正の手続法ということを前提にして議論をした方が、よりわかりやすい、そしてまた具体的な問題のイメージがわきやすい、こういうふうに考えております。

したがって、慎重な議論、そして憲法で変えてはならない問題は何かという問題も、必ずしも国民の中で意見が一致するような単純な問題ではないと思いますけれども、そういう問題を議論することは大切でございますけれども、それはやはり国民投票制度の整備の中で十分に議論をしていくということは必要なことだろうというふうに思います。

そして、これまで、憲法を維持する、現行憲法を擁護するという立場から二つの問題提起がございましたので、それについて私の基本的な考え方を申し上げておきたいと思います。

その一つは、辻元委員がかねてからおっしゃっておりますように、自民党の憲法草案が発表された、したがって国民はそれに引きずられていくんじゃないだろうか、こういうような御心配だろうというふうに思いますし、そういうものを前提とした国民投票制度を議論するのは、それは甚だ国民を無視するような結果になってよろしくない、こういうような御議論だと思います。

私は、自民党が結党の一つの目標として憲法改正を掲げてきたということは余り国民に知られていないことであるだろうと思いますから、今の自民党を支持する人たちが憲法改正を前提にして自民党を支持するとは思っておりませんし、また、憲法改正といっても非常に幅がある。例えば九条の問題一つとっても幅がある。現在の自衛隊をそのまま憲法上位置づけるにとどめるべきだとか、あるいはそれ以上に発展させるべきだとか、いろいろな意見がある中で、同じ九条でも幅がある、そういうようなものでございますから、私は発表した案にこだわるのはどうだろうかな。

むしろ、発表された案を対象にして危険性を感じるならば、その危険性を国民にPRする、そして、いかに改正がよろしくないかということが国民運動として展開する大きなきっかけになるだろうというふうに私は思いますから、私は、自民党の草案ができた今日ただいま、そういう観点から改めて国民投票制度の問題を国民の皆様方に周知徹底するには一番いい時期だろう、こういうふうに考えております。

そしてまた、もう一つの意見として、国民の多くは憲法改正を望んでいないので国民投票法制を整備する必要がない、そういう意見でございます。私は、そうであればなおさら、この憲法問題について、長いことうやむやな問題で、かすみがかかったようなことで国会でも取り扱われてきた問題でございますから、そういう御意見があれば、今の段階で、国民に国民投票という形で判断を仰ぐ、そのための手続法を整備するというのはむしろ当然だろうと思います。

ただ、いろいろな意見、慎重論を背景にして考えれば、いきなり、憲法九条をどういう形で改正するのか、あるいは憲法全体をどういうふうな形で改正するかという具体的な提案ということも一つの提案でございますけれども、もう一つの提案は、憲法改正に賛成か反対か、そういう提案の仕方もあり得るんだろうと思います。

硬性憲法の上にそういう複雑なことをやると大変手間がかかりますし、ますます憲法改正がしにくくなるという事情はございますけれども、基本的には憲法改正に反対か賛成か、改正するとすればどういう事項について改正をするかということを国民に問う、その結果を待って具体的な改正案づくりを国会において行うという二段階方式ということも、慎重を期すとすれば考えられるわけでございますから、私は、ただ単に多くの国民が改正を望んでいないから国民投票制度をこの際整備する必要はないという意見は、これもいかがなものだろうかという感じがいたします。

そしてまた、憲法改正の問題は、実は九条だけの問題ではないと思います。今ようやく道州制の問題が地方制度調査会で一つの提案として出てまいりました。今の道州制の問題は北海道の問題に端を発しておりますから、それに必ずしも道州制が引っ張られるわけじゃありませんけれども、本当に道州制を目指すならば、その道州、州というのは国に準ずる機関でございますから、当然のことながら私は憲法の改正の問題、憲法の問題として議論すべき問題だろうというふうに思います。

そういう意味においても、憲法改正が必要なのは、ただ単に九条だけの問題じゃなくて、これからの日本の国のあり方、その一つとして道州制というものを本来の望ましい形でもって推進するとすれば、当然それは憲法改正の問題につながる問題だというふうに認識しておりますので、そういう観点からも、私は、国民投票制度というものをあらかじめ決めておくということは大変大きな意味があるというふうに思います。

そして、これは皮肉として受け取られたらまずいのでございますけれども、先般の郵政民営化法案において、小泉総理が、国民投票的な選挙を行うということであの法案について国民の判断を仰ぐ、そういうことをおやりになりました。したがって、私は、むしろ自民党の方から、憲法以外の重要事項については国民投票の制度の一環としてこの問題を取り上げるというぐらいの提案があってしかるべきだ、そういうようにも感じます。そういう意味では、私は、民主党の、憲法問題以外に一般諮問的事項について、国民投票制度の中でその問題についても手当てをしておくという提案については検討の必要があるだろうという感じがいたしておりますこともあわせて申し上げておきたいと存じます。

次に、十月六日に中山委員長の方から、八項目ばかり国民投票制度について検討しておかなければならない事項について最初に御報告がございましたので、順次、そういった点につきまして簡単に考え方を明らかにさせていただきたいと思います。

まず、一番目は投票権者の範囲でございます。

これは、確かに幅広く取り上げるということについてはみんなそういう思いもあるわけでございますけれども、基本的に、振り返りますと、日本全国の成年、未成年の区別をどこでするか、こういうこととの関係がやはり一番大きいように思いますから、私は今の制度の中では二十歳ということがやむを得ない判断だろうというふうに思います。それからまた、公民権停止について、除外すべきだという民主党の提案もありますけれども、私は、やはりこの種のものは、選挙、国民投票を問わず、公民権停止の者は除外すべきだという現在の選挙法の手続をそのまま乗せた方がいいような感じがいたします。

二番目に、提案の仕方が一括かあるいは個別かという問題は、これは既に保岡委員の方からも提案されておりますように基本原則は個別だということで打ち出すということだろうと思いますし、具体的な問題はその段階で議論をしていけばよろしいんじゃないだろうかな、こういう感じがいたします。

〔委員長退席、愛知委員長代理着席〕

そして、三番目の周知期間でありますとか広報の方法をどうするんだ、こういうことでございますけれども、この問題は前回公明党の方から六十日ないし百八十日、こういうような御提案がございました。私はその公明党の提案に賛成でございます。そして、広報の方法につきましても、これはかつて民主党が提案されましたように国民投票委員会を設けて、そこで具体的に期日の問題でありますとかあるいは広報の方法、あるいは賛成、反対の資料、すべて国会における国民投票委員会で作成していく、取り扱うということがベターだろうというふうに思います。

それから、四番目の投票運動の規制、投票運動の原則。

これはたびたび当委員会でも指摘されておりますように、ほとんどフリーの状況で行うというのが国民投票にとっては望ましいことだろうというふうに私は思います。その際、第一感として直観的には、公務員でありますとか、あるいは投票制度に携わる特別の公務員については、これは自由な運動から除外をする、除外をしてもやむを得ないという御意見もあろうかと思いますけれども、私はその除外は最小限度にとどめるべきだろうと思います。

公務員であっても、これも現在の公務員法あるいは現在の選挙関連法からいえば、公務員は文句なしにこの種の政治的な活動を禁止されています。したがって、どういうことが起こるかというと、うっかり公務員がテレビに引っ張り出されてマイクを向けられてしゃべったら違反だというふうになりかねない、そういうような問題がございます。既に今の選挙法のもとにおきましても、地方の投票管理者が自分の家の周りにポスターを一枚張っただけで警察に逮捕されて二十日間も勾留されるというのが今の取り締まり当局の実態でございますから、私は、この運動が盛り上がれば盛り上がるほど、そういうようにいつ何時逮捕され勾留されるかわからない、そういう中で自由な発言をできるだけ求めようとするこの憲法改正議論に水を差すようなことはやはりこの際一切排除するということが望ましいんだろうと思います。

しかし、全くの野放しというわけにはまいりませんから、国民投票委員会のもとに監視委員会を設けて、そこが、サッカーではございませんけれどもイエローカード、レッドカード、そういう注意勧告のようなものを導入していく。ただ単に罰則でもって逮捕するというよりも警告をする。それは現在でも警告をやっていますけれども、これは生ぬるいんですよね。警告をもう少し効き目のあるような方に持っていくというようなことも私は一つの案だろうと。そういう意味で、そういうことと兼ね合わせながら、公務員に対する規制も、かなり考えた、緩やかなものにしておく必要があるように思います。

それから、投票用紙への記載の方法でございますけれども、これは国民投票委員会でお決めになればいい話だろうというふうに思います。

それから、国民投票の過半数の判定の問題は、これは憲法制定以来、この種の投票には常に有効投票という考え方がとられてきた経緯もございますから有効投票ということでよろしいんじゃないだろうかな、こういう感じがいたします。

それから七番目に、国政選挙の問題でございますけれども、当然、国政選挙とは一線を画す必要があるだろうと思います。しかし、具体的になってまいりますと、地方の選挙との重複ということは、ある意味では避けられない問題もあろうと思います。できるだけ重複を避けるべきだとは思いますけれども、地方の選挙との重複ということも、それは同じ選挙でございますからあり得る。国政選挙との重複は、これはできるだけ避けるということでございますけれども、場合によっては地方選挙との重複があり得るという前提で物事を考えた方がよろしいように思います。

以上、少し細かい話を申し上げましたけれども、十月六日の中山委員長さんの御提案が、そういうようなことを中心にして当委員会で議論をしていくんだということも最低の問題提起としてございましたから、私はそういう意味で申し上げました。

なお、少し時間がありますのでつけ加えて申し上げますと、マスコミも全く自由でよろしいかと思うんでございますけれども、ただ、活字等の新聞マスコミにいたしましてもテレビにいたしましても、どこまで中立が保てるかという問題が常につきまとうわけでございます。それならばいっそ、活字の新聞等につきましては、自分の立場を明らかにして、賛成なら賛成、反対なら反対ということを明記してやった方が国民は信頼しやすいと思います。

新聞は常に中立だと思い込んでやりますと、いつの間にか偽装された中立になっているということがあるわけでございますから、私は、新聞はきちんと賛成と反対の立場を明らかにしてPRをする、紙面を扱うということを求めるべきだと思いますし、テレビについては、ヨーロッパにありますように監視委員会を設けて、厳密な公平というわけにはまいらないと思いますけれども、少なくとも過度に偏った不公平な取り上げ方があれば是正勧告をするというぐらいの組織はつくっておいた方がいいように思います。

以上、何点かについて具体的に申し上げました。

そして最後に、公明党の方から、複数の提案については提案ごとに投票箱を別にするというようなことは検討に値するんじゃないだろうか、こういうふうな御提案がございました。私は、それは非常にきめ細かい配慮だろうと思いますけれども、問題は、幾つにも分かれた場合に、個別の投票箱に入れるということになりますと、どこのところをマルにして、どこのところをバツにしたかわからなくなる、こういうような、具体的な問題になってくるといろいろ細かい支障が出てくるということもございますから、公明党の提案は、それはちょっと提案として検討をしていくべき事項だろうというふうに考えておりますので、以上申し上げまして、終わりたいと思います。

ありがとうございました。

愛知委員長代理

これにて、基調となる御意見の開陳は終わりました。

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愛知委員長代理

それでは、まず、高市早苗君。