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2006年6月1日 衆議院本会議

2006.6.1

議事録

164-衆-本会議-33号 2006年06月01日

辻元清美君

社会民主党の辻元清美です。

私は、社会民主党を代表いたしまして、きょう議論になっております国民投票法両案に対し、自民、公明及び民主党の提出者に質問をいたします。(拍手)

まず指摘しなければならないのは、なぜ今、急いでこのような重要な法案を提出したのかということです。最も重要な憲法に関する法案であるだけに、その制定の是非についても、あらかじめ選挙で主権者に問うぐらいの姿勢が必要じゃないですか。どうですか。

各種の世論調査でも、国民投票法の制定は慎重にすべきという意見が六〇%以上なんです。それを、会期末になって突然法案を出したということは、急ぐべきではないというこのような声を置き去りにしていると言わざるを得ないと思います。

社民党は、現行憲法を生かした政治を実現することが重要であると考えています。ですから、今、憲法改正のための国民投票法が必要であるとは考えておりません。私は、国会の外の、この急いで決める必要はないとの多数の人々を代表して、きょうは質問をしたいと思います。

最初に、国民投票法の前提になる憲法についての基本的認識についてお伺いします。

憲法とは、国民の権利を侵さぬように、国家機関の権力行使を制約する原則を定めたものです。これが近代憲法についての世界的な常識です。しかし、昨今の国会では、すべての基本になるこの認識すら無視された議論が横行しています。

そこで、まず、憲法とはどのような法規範であるのか、だれがだれに対して、何のために発するものであるのかという、憲法についての基本認識を両案提出者にお尋ねします。

また、憲法改正は憲法九十六条の規定に従ってなされるものですけれども、この改正には限界があり、全面改正は認められていないというのが通説です。そこで、両案の提出者に、憲法改正の限界についての見解を求めます。

改正の限界については、現行憲法の基本原理である、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義すなわち戦争放棄という柱は変えてはならないものと考えますが、両案提出者の答弁を求めます。

昨年、自民党は、新憲法草案を発表しました。この草案においては、国民が遵守しなければならない責務を国家が規定しているなどの点において、近代憲法の原理を逸脱しているという指摘が専門家からも出されています。自民党の新憲法草案についてのこのような指摘を、民主党の法案提出者はどのように考えますか。率直な御意見をお聞きしたい。

このように、政権与党の中ですら、憲法についての国際常識と異なる認識が通用している今のような政治状況を放置したまま、国民投票法を議論することは、本末転倒ではないでしょうか。

国民投票法は、国民投票の手続を定める単なる手続法であると説明されています。果たして本当にそうでしょうか。両案とも、国民投票の新設と国会法の改正という、全く次元の違うものを一つの法律で処理しようとしています。

国民投票法は、主権者たる国民が憲法改正案の是非を選ぶ方法を定めるものです。これに対して国会法は、立法府である国会の運営を定めるもので、両者の性格は全く違います。一部に関連する事柄を含む場合でも、一つの法案にまとめるべきものではありません。公正な手続法をつくるというのならば、特に厳格に、国会運営や立法の手続に従わなければなりません。この点だけをとっても、両法案は大きな問題があり、取り下げられた方がよいと思います。

さらに、両法案は、国民投票法案という表題からは想像すらできないような内容を規定しています。国民投票法案に組み込まれた国会法改正によって、両院に憲法審査会を新しく設置されるとしている点です。この憲法審査会の機能はどのようなものであり、どのようなことを審査するのか、まず、両案提出者の答弁を求めます。

この憲法審査会は、憲法改正原案を審査するだけではなく、みずから憲法改正原案をつくり、提出することもできるとなっているではないですか。それも、閉会中も常に審査が可能で、次の国会に継続していく。これに加えて、国民投票法の本体は公布の日から二年後に施行されるのに対し、この憲法審査会は公布後最初に召集される国会から設置されるということになっています。もしこの法案が今国会で成立したら、法的には、次の国会から直ちに憲法改正原案の審査が開始し、閉会中もその審査を継続し、憲法改正原案をつくれるということになるのです。

この法案は、国民投票法案といいながら、実際は、直ちに憲法改正に着手していく改憲準備法案になっていると言えるのではないでしょうか。改憲の中身を具体的に審査し決定するような機関を国会の中につくるかどうかということは、それだけで、独立して、時間をかけた国民的な議論が必要な、政治の最重要課題ではないでしょうか。

国民投票の手続を決める法案の中にそのような重要な機関の設置まで盛り込むことが妥当と考える理由は、どこを探しても見当たりません。両法案提出者の見解を求めます。

国民投票法は単なる手続で、改憲の議論とは切り離して制定するといいながら、憲法改正原案の審査機関の設置まで盛り込むことは、これをきっかけに改憲にまで持ち込もうというたくらみを忍び込ませていると見えるんじゃないでしょうか。

国民投票法……(発言する者あり)ちょっと御静粛に願います。国民投票法が整備されなかったのは立法府の怠慢だと叫ぶ人がいます。私は、立法府の意思であり、熟慮した政治的選択であったと申し上げたいと思います。

自民党など保守の人たちも含めて、歴代の内閣もまた、改憲手続法をつくらないということに意味を見出してきたのです。悲惨な戦争の体験から、現行憲法の基本理念に基づき、特に憲法九条に代表される平和路線を貫いた国づくりをするという立法府の選択の結果、国民投票法をつくってこなかった。世論も、このつくってこなかったという立法府の姿勢を長年支持してきたのだと思います。

この基本的な日本のあり方を変更することになると考えているからこそ、今なお、国民投票法制定の是非については、慎重に取り扱ってほしいという声が多数を占めているのではないでしょうか。六十年間つくってこなかった意味をかみしめることなく、単なる手続法といいながら、改憲になだれ込む装置までを兼ね備えた法律を制定しようとするこの今の立法府の姿勢は、私は、日本を危うい方に持っていくのではないかと、深い憂慮を覚えております。

何をそんなに急いでいるんですか、皆さん。今、立法府の私たちにまず求められているのは、憲法とは何なのかという共通の基本的な認識づくり、そして、日本の進路の選択をどうするのかという十分な議論をしていくことが求められているというように思います。

私たちに改憲準備法案は要りません。両法案の撤回を求め、私の質問を終わります。(拍手)

〔保岡興治君登壇〕

保岡興治君

与党案提出者を代表いたしまして、辻元議員の御質問について答弁申し上げます。

まず、憲法とはどういう法規範であるのか、だれがだれに対して、何のために発するものであるのかという、憲法の性格についての基本認識についてお尋ねがございましたが、憲法は、国家機関が国民の権利を侵さないように、その権力の行使を制約する原則を定めたものであるということは、御指摘のとおりだと思います。

他方、憲法は、国家機関を定めて、それぞれの機関に国家作用を授権します。すなわち、通常は、立法権、司法権、行政権及び憲法改正手続等についての規律が設けられています。この国家権力の組織を定め、かつ授権する規範も憲法に不可欠な要素だと思います。

さらに進んで、二十一世紀には、国民と国家が対立するだけではなくて、協働関係に立つこともあり得るでしょう。そうすると、憲法は、国家目標の設定あるいは国民の行為規範としての役割、機能も持ってくるものだ、そう存じております。

次に、憲法改正の限界についてお尋ねがございました。

学説にはいろいろの議論があることは承知していますが、法的には、憲法改正には限界があると解するのが通説的な見解でございます。その際、限界として説かれるのは、日本国憲法の基本原則である国民主権主義、基本的人権の尊重、平和主義、この三つの原則であり、これを否定するような改正は、憲法の同一性を損なうものとして許されないと考えられています。私も、基本的にはこのような考え方が妥当であると考えております。

また、全面改正あるいは新憲法制定は認められていないとの御指摘がありますが、憲法の改正とは、憲法の定める手続と制約のもとに現憲法に変更を加えるものであります。憲法九十六条の二項では、憲法改正について国民の承認を経たときは、現在の憲法と一体をなすものとして公布すると定めていることからもわかるとおり、現行日本国憲法を廃止するようなことは想定されていないと考えています。

しかし、我が自由民主党の新憲法草案は、現行憲法の理念、原則は維持しつつ深化を図る全面的な改正であって、あくまでも現行憲法に許容される変更を加えるものでありますから、このようなことを日本国憲法は当然認めているものと考えております。

なお、残余の質問に対しては、同僚議員から答弁をさせていただきます。(拍手)

〔葉梨康弘君登壇〕

葉梨康弘君

辻元議員の御質問にできるだけ簡潔にお答えをいたします。

憲法にかける辻元議員の思いには、与党の提出者の一員として、ある意味で敬意を表させていただきます。そして、今後の国会審議の中で、国民のためを思う我々の真摯な思いについてもぜひ御理解を賜れれば幸いに存じます。

まず、国民投票制度の新設と国会法の改正を一つの法律で行うことの是非についてお尋ねがありました。

憲法改正に係る国民投票法の新設とその発議手続のための国会法の改正は、憲法改正という一連の手続の中で位置づけられるものでございます。また、法律上あるいは条文上も、個別投票の仕組みを担保するための個別発議に関する条項、国民への周知広報機関である憲法改正案広報協議会の設置、構成、権限に関する事項など、内容的、政策的に密接に関連する事項がございます。これら両者の整合性を図るため、今回、その両者は内容的に一体不可分のものとして審議するべきものとして、一本化した法案で提案をさせていただいたものでございます。

次に、憲法審査会についてのお尋ねがありました。

本法案では、憲法審査会は、調査権限と審査権限とを有する常設の機関としています。とりわけ、憲法改正原案については、国民に開かれた形で、特に慎重かつ十分な審議の必要性がございます。そして、国民に開かれた審議を行う要請にかんがみ、公聴会の開催を義務づける必要があること、性質上、会期をまたがって慎重な審議がなされるべき議案であること、そして、このため閉会中審査について特例を設ける必要があること、さらに、審議の段階から両院間の意思の疎通を図るため合同審査会に関する規定を設ける必要があることなどから、他の委員会とは異なる扱いとする必要があり、このため、憲法審査会という特別の機関として位置づけたものでございます。この憲法審査会においては、しっかりとした真摯な調査が行われることが期待されるものでございます。

この趣旨にかんがみれば、事前に改正の要否やその具体的内容及び論点に関する調査がなされ、これらを踏まえて憲法改正原案が提案され、その審査が行われていくというのが通常の手続であろうかと思います。憲法審査会発足当初、少なくとも国民投票法本体が施行されるまでの二年間は、改正の要否とその具体的な論点の調査に専念されることになるものと考えており、御懸念の趣旨は当たらないものと考えます。

以上で答弁を終わらせていただきます。ありがとうございました。(拍手)

〔枝野幸男君登壇〕

枝野幸男君

まず、先ほどの笠井議員のお尋ねのうち、過半数の意味についてと最低投票率制度についてのお尋ねについて答弁を落としていたようでございますので、これをまず答えさせていただきます。

投票に行かずに権利を放棄した者まで過半数の分母に加えることは適切ではないと私たちは考えます。一方で、わざわざ投票所まで足を運び、かつ、国会の発議を是とする意思を明確に示さなかった者については、この憲法上の規定でも国民の承認と書いてありますので、承認の意思がなかったものと判断するのが自然ではないかと考えております。

したがいまして、賛成投票数が投票総数の二分の一を超えたことをもって憲法改正についての国民の承認があったものという規定にしているところであります。

それから、最低投票率ですが、主権者たる国民の意思をできる限り正確に反映したものという観点からは、投票率が低いことは望ましいことではないと思っています。

しかし、国民の皆さんの立場からすれば、賛成という意見、反対という意見と同時に、よくわからないから残りの主権者の皆さんで決めてください、こういう意思も当然にあり得るんだというふうに思っておりまして、棄権をする自由と言っては言い過ぎかもしれませんけれども、それもあり得るんではないかというふうに思っています。

またさらに、最低投票率制度を設けますと、いわゆるボイコット運動によって発議を否決しよう、こういう運動を誘発しかねないというふうに思っております。

また、実は、憲法改正といいますと、皆さん、例えば九条であるとか人権であるとか、そういうことが変わるということばかりを想定しておりますが、例えば最近でありますと、裁判官の給料は減額してはいけないという憲法上の規定がありまして、これを、現下の経済状況等を踏まえて、名目上他の公務員と横並びで下げるということについて、これは合憲なのか違憲なのかということで大分議論になりました。

私は、個人的には、こういったことについては憲法の条文を変えるべきだというふうに思いますが、国民から見ればかなり技術的な規定でありまして、こういったものについて無理やり投票所に行けということがあり得るのかどうか。つまり、テーマによってやはり投票率が大きく変わってくるんだろうというふうに思っております。国民生活に大きく影響を与える、国民の関心が高いテーマについては当然高い投票率になるんだろうと思いますし、また、そのことを高い投票率にすることは、発議に賛成であれ反対であれ、発議権を持つ国会の一員である国会議員あるいは政党にとっての責任ではないか、こんなふうに思っております。

それでは、辻元議員による質問にお答えを申し上げます。

まず、憲法とはどのような法規範であるのかということについてお尋ねがありました。

そもそも私たち国会は、法律を制定するという行為を通じて国民の皆さんに命令をする権限を有しています。なぜ私たちにこのような権限が与えられているのか。それは、選挙という主権者の意思に基づいて選出されているからでありますが、さらに、その前提には憲法があります。つまり、憲法によって主権者である国民から立法という権限を付与されているからこそ、私たちの権限行使は正当化をされています。また、国民から権限を付与されていると同時に、私たちは、憲法によってその権限行使の限界、つまり憲法に規定する基本的人権を害してはならないなどの制約を受けています。

このように、憲法は、公権力から国民に対する命令である法律や政令等とは反対に、主権者である国民から、国会、内閣、裁判所等の公的機関に対し公権力行使の権限を付与し、その限界を定めるという性格を有していると考えます。こうした憲法の定義は、近代国家において共通のものであると同時に、我が国においても古来一貫しているものであることを申し上げたいと思います。

すなわち、我が国最初の憲法と言われる聖徳太子の十七条憲法も、当時の主権者である天皇にかわって、摂政たる厩戸皇子が当時の官吏に対して命じた法規範であり、一般国民に対する命令ではないということです。

なお、先ほど保岡議員の答弁では、国民対国家という対立概念ではない、それを乗り越えるんだというお話がありましたが、そもそも国民対国家が対立なのかそうでないのかという議論自体が、私は前提が違うと思っています。国家というものの構成要素が三つある。その国家というものの構成要素は、国民であり、領土であり、公権力である。その公権力と国民との関係を規定しているのであって、国家というのは、それを含んだ全体が国家なのであって、そもそも国家対国民などという議論ではないということを申し上げておきたいと思います。

次に、憲法改正の限界についてお尋ねがありました。

質問者の御指摘のとおり、憲法がその同一性を損なうような改正をすることはもはや改正とは言えません。それは革命と評価されるべきものであります。民主党は革命政党ではありませんので、現行憲法の中で、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という三つの理念を変更することはすべきでないと思っていますし、それは現行憲法の同一性を損なうものとして改正が許されないものであるというふうに考えております。

次に、自民党の新憲法草案についての評価のお尋ねがありました。

他党のことでもあり、また、第一次草案にすぎないとも聞いておりますので、深入りは避けたいと思っておりました。特にこの間、この六年間にわたりまして中山太郎憲法調査会長を初めとして、また、壇上におられる提案者の皆さんを初め与党の皆さんは、少なくともこの間、憲法調査特別委員会などの現場におきまして、党派を超えて幅広い合意形成に向けて、まさに誠意を持って真摯に対応してこられている、私たちもそれにこたえて誠意を持って真摯な対応のもとに、意見を一致させて手続法をしっかりつくっていこうということでやってまいりましたが、どうやらそうした真摯な考えでいらっしゃるのは、残念ながら、中山委員長や提案者の皆さんを初めとする一部の皆さんで、そうでない人の方が圧倒的だということがよくわかりましたので、遠慮なく申し上げさせていただきたいと思っております。

御指摘のとおり、自民党の新憲法草案は、今申し上げました憲法の定義を全く理解していない論外のものであると強く申し上げたいと思っております。(拍手)

憲法が、国民から公権力に対する授権規範であり制限規範であることを考えると、国民に対する命令と解される内容が含まれていること、これは憲法のイロハがわかっていない議論であると言わざるを得ないと思っています。また、そもそも国会は、国民の皆さんに対して憲法の範囲内で自由に義務を課すことができるのでありますから、法律でこれを定めるという規定を憲法に書くだなんということ自体も、これまた憲法のイロハがわかっていない議論である、こう言わざるを得ないと思っています。

国会は、憲法に反しない限り自由に立法して国民に義務を課すことができるんです。特に、皆さんは国会の過半数を占めているんですから、自由に法律を制定して、それで国民に義務を課せばいいのであって、何でわざわざ憲法に国民の義務を課さなきゃいけないのか、さっぱりわけがわからない。そして、憲法によって命令を発する主体である国民が、同時に命令を受ける客体であるなどというのは、一種の論理矛盾であって、そんな論理矛盾のことを堂々と公党が提起されているだなんというのは、全く信じられないと申し上げておきたいと思います。

また、法律でこれを定めるということについては、確かに、現行憲法においてもそういう規定があります。しかし、この規定に意味があるのは、一九四六年改正以前の日本の憲法でも、勅令などという形で、いわゆる行政命令で、法律によらないで国民に義務を課すということが日本においても歴史的に行われてきた、そういう経緯の中にあります。

したがいまして、この四六年改正において、法律でこれを定めると書いてあることの歴史的な意味は、こうした行政命令によってはこういうことをやってはだめですよということを規定したことに法的な意味があるのであって、今や近代憲法先進国の常識として、法律に基づくことなく、つまり憲法に基づくことなく国民に変な義務を課しちゃいけませんよ、例えば課税をしちゃいけませんよとか、こんなことは常識なのであります。

こうした歴史的な常識、世界的な常識に反した方向で、むしろ、法律の規定によりという規定をこんなたくさん設けていること、そして、やはりその中身を見てみると、実は憲法で何らかの枠を設けるんじゃなくて、法律でこれを定めるといって何でも好きなようにやってしまおうという話で、立憲主義そのもの、憲法そのものを否定するような中身でありまして、まず、憲法のイロハをしっかり勉強してきていただきたいということを申し上げたいと思っております。(拍手)

なお、私が今申し上げたような認識は、例えば、皆さんも古くから改憲派の仲間でいらっしゃる小林節慶応大学教授なども同じようなことをおっしゃっているということを、ぜひ真摯に受けとめられるように申し上げたいと思っております。

国会法との関係、そして憲法審査会の機能等についてのお尋ねがございました。

この点については、大体のところ、葉梨先生が御答弁されたことと私たちも共通の認識であります。その上で一言付言させていただくならば、私どもも、憲法審査会ができたから、あるいはつくるということが、直ちに憲法の発議を国会で議論をする、こういうことにつながっていくとは私は思っておりません。

なぜならば、まず、勘違いしている人たち、たくさんこの辺いらっしゃるようですが、国民投票で二分の一の賛成がなければ憲法は変わらないんです。国民の過半数の賛成が得られるというこの感触をつかめない限り、我々は無責任に発議はできないわけですね。同時に、国会の中で三分の二を超える合意形成が必要なんです。幸いなことに、参議院においては自民党と公明党では三分の二がございませんから、どうもけんかを売っているようでございますが、我々にけんかを売って三分の二がとれるのかよく考えていただきたいんですけれども、まず、三分の二を構成するためにどうやってコンセンサスを形成するのか、このことをしっかり踏まえて考えていかなきゃならないわけですね。

こういうことを考えていくならば、いきなり改憲の、改正の原案を出してそれを議論するだなんという話では、国会の三分の二の形成も、国民の二分の一の形成も不可能なことはちょっと考えればわかることでありまして、まずは、中山委員長が頑張ってやってこられた五年間の憲法調査会での議論を踏まえ、その調査報告書を出発点にそれぞれの論点について議論を深めていく、こういうところから議論がスタートしていくんだ、そして、国民のコンセンサスが得られたらというときに初めて発議がなされるんだ、こういうことになっていくんだというふうに考えております。

以上でございます。(拍手)