つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)

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2006年6月1日 日本国憲法調査特別委員会

2006.6.1

議事録

山田参考人

放送基準の中にきちっと明文化してあります。特に政治にかかわるものに関しては、出したスポンサー元をきちっと表示するということ。それから、それに対する反対広告があれば、それも有料ではあるけれども受け付けなければならないという、これはバランスをとるということで、そういうのは明文化してあります。

辻元委員

天野参考人にお伺いをしたいと思います。

昨今の、CMだけではなくて、テレビが大きく政治に与える影響といいますか、前の選挙もかなり大きな影響を与えたのではないかと思うんですね。そういう事態を先ほどからも幾つか言及されておりますけれども、どのようにごらんになっているか。

いわゆる小泉劇場と言われて、この前、この場でもかなりそういうことが議論になってまいりました。これはなぜかといいますと、先ほど議席配分という話もありました、例えば選挙で選ばれた国会の状況と必ずしもそのときのキャンペーンのあり方とか、この間でしたら郵政民営化が争点で、例えばその議席でいけば憲法は全く争点になっていないわけですね。かつ、テレビが選挙に与える影響などもあって議席が決まっている。それと同時に、議席の場合は、小選挙区比例代表並立制という制度の問題もあります。票数でいえば、この間の選挙も与野党かなり伯仲しておったわけです。そういうさまざまな中で議席配分がなされている。

ですから、私は、その議席配分と公共空間での特に憲法などについての賛否は一致していない場合が多々あるんじゃないか。これは私が少数会派にいるからそう申し上げているのではなく、客観的に見て、選挙で選ばれた議席というものと、一つの問題、特に憲法などについてねじれ現象がある。それは先ほどからも御意見を伺いました。

そこで、この間の選挙を見ておりまして、テレビの与えた影響というのをどのように、かなり大きな影響を与えてきたのか、先ほどはCMに限定してお話がありましたけれども、どのようにごらんになっているか、伺いたいと思います。

天野参考人

こういうところで媒体の比較をしてもいけないんですけれども、新聞とかポスターとかあるいは選挙公報よりは、やはりテレビコマーシャルが決定的な役割を果たしているように僕には見えます。少なくとも前回の選挙に関して言えば、そういう印象が強かったですね。

それは、だからテレビコマーシャルは怖いということなのか、あるいは危険ということなのかというと、そうじゃないと思う。これは、皆さんを前にしてこんなことを言うのは偉そうで失礼かもしれないけれども、やはり今の時代、政治家の方は、本当に国民に届く言葉というのをお考えになったら、テレビ的言語というものの理解なしにそんなことは言えないんじゃないでしょうか。本を書いて、読めと言ったって、そんなもの読めやしませんよ、普通の人たちは難しい本を。やはりテレビ的な表現、テレビ的な言語というものできちっと言葉を届かせていくということが、よくも悪くも今必要な時代になってきている。

そういうものをうまくつかんだ方がたまたま総理になられたという感じが僕にはあるんです、本当の話。それがいけないと言っているんじゃないんですよ。それはそれですごいことじゃないんですか。テレビ的言語を持っていらっしゃって、それで届く言葉を発せられた。

届く言葉というのは、具体的に政策とかそういう細かいことかというと、そうじゃないですよ。スローガンですよ。だけれども、そのスローガンしか言わないというのがいけないのかというと、今のテレビでスローガンを言わないで延々と考え方、政策を説明したって、みんな聞かないですよ。聞かない国民はしようがないと言ったって、それはしようがないんですよ。それは、スローガンの中に、どれだけスローガンを言っている人の表現の中に、表情の中に、その言い方の中に、その人の持っている、政策よりももっと大事な人間性みたいなものがにじみ出るかというところが勝負で、それがテレビ的言語の基本だと僕は思っているんですね。多くを語ることじゃない。そういう点では、前回の自民党さんのコマーシャルは、見事にテレビコマーシャル的だったということは僕は言えると思いますね。

社民党はやらなかったんですが、今の時代にテレビのコマーシャルを使わないで自分たちの主張をみんなにわかってもらおうと思うのは、ある程度、だめだとは言いませんが、限界があると僕は思います。

そうなると、さっき言ったようにお金がいっぱいないとできないということになっちゃうから、やはり、そういう機会の均等ということと、意見広告については料金を安くするとか、さまざまな制度の中でもう少しいろいろな政党があるいは政治家の方がテレビコマーシャルというものを本当の意味で活用してくださるようになることが、僕のような広告の世界にいる人間から見れば、広告の発展のためにはいいことなんですよ。

広告というのは、どちらかというと悪のレッテルを張られていますし、現実には悪の権化みたいな部分もなくはないかもしれない。だけれども、だからといって広告というものを切って捨ててしまったのではいけない。それをもっとうまく使う知恵が今は必要だし、それを受け入れるだけのセンスは今の大衆は持ち始めているというふうに信じないといけないんじゃないかなと僕は思っています。

〔愛知委員長代理退席、委員長着席〕

辻元委員

この間の選挙では、社民党の場合は資金力がなくて、つくるところまでいったんですけれども流せなかったという状況があります。

テレビコマーシャルの場合は、放映をするための費用だけではなくて制作にもかなりお金がかかります。短い時間でメッセージが届くものをパッケージでつくろうとしたら、かなりの費用がかかる。そこの部分も、やはり資金力によって意見を言える人と言えない人が出てくるところではないかと思うんです。例えば討論会に出てお互いの意見を闘い合わすのだったら、自分が行って意見を言えばいいわけですけれども、CMという一つの作品のような形にするところの資金についても全体的な資金力の中に入るのではないかというように私は思っております。

そこで、もう一点、山田参考人に。

先ほどから各政党の議席によってCMの時間の配分には違和感があるという御発言が何回もありました。これは本当に、少数だから言うのではなく、率直な客観的な御意見ではないかなというふうに私は思いました。その際に、何かそれを公平にする基準とかアイデアがあるのか。

要するに、選挙の場合は立候補者が多いと、これはある意味で合理的な理由があるんです。その立候補者を全部紹介するだけでも、五人出ているところと百人出ているところでは、同じ時間ではなかなか紹介できないので、確かに、立候補者が多いとか議席が多いところにはある程度の時間配分という理由を一時聞いたことがあるんですが、一つのテーマの意見ということになると、そうではないと思います。

今後、基準をお考えになるということなんですけれども、どのような議論が今具体的にはあるんでしょうか。

山田参考人

その意見の放送というものの中身が、議員の方々がそれぞれ正面のカメラを向いてしゃべられるものなのか、それとも今自分が持っている時間を使って自由に、極端に言えばタレントさんとの対談の中で何かをやられるのかとか、そういうこともまだよくわかりませんので、つまりこちらは具体的な方策というのはまだないんですけれども。

国民投票について言えば、イエスかノーかという二つの選択ですから、やはり二つの意見が平等に出ていくように放送としてはしなくてはいけないというふうに思っています。これは私がそういうふうに思っているんですけれども、いろいろな意見があるでしょうから、そういうテレビの公共性にかんがみながらこれからきちっと議論をしていきたいというふうに思っております。

辻元委員

ちょうど時間が参りましたので、これで質疑は終わります。

ありがとうございました。