つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)

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2006年11月30日 憲法改正手続に関する法律案等審査小委員会

2006.11.30

議事録

165-衆-日本国憲法に関する調査…-4号 平成18年11月30日

辻元小委員

この過半数の定義の議論でいつも出てくるのは、最低投票率の問題が出てきます。

これは以前の委員会でも指摘した点なんですけれども、憲法の正統性を担保するということが非常に重要であると私は考えています。

余りにも低い投票率で賛成または反対が、余りにも低い投票率で反対と決まった場合も、そんなに少ない人たちで決めた憲法じゃないかということで、憲法という、国の基本になる最も大切なものに対しての正統性ということに傷がつく、と言ったらおかしいですけれども、のではないかという懸念は再三指摘してきたとおりです。

そしてまた、政治状況を見ましても、少ない人たちの賛成または反対で結果が決定された場合に、今でも憲法について、これは本委員会でもさまざま指摘が出ておりましたけれども、解釈改憲という言葉が出ていましたけれども、少ない数で新しい憲法または現憲法が承認されているのだからと、政治の場での憲法の扱いに対しても、現状から見ますと非常にないがしろにされる懸念が出てくるのではないか。

それから、これも再三指摘しましたが、政権交代の世の中になっていますので、政権がかわっても耐え得る憲法であるということがやはり大事だと思います。日本国憲法は本当に六十年間耐えてきたというのは、ある意味よくできていた憲法であったかと私は非常に高く評価しておりますけれども、例えば社民党が政権をとるということもあるわけですから、政権交代をした場合にも耐え得るとなってくると、やはり圧倒的多数の人たちで承認されたなというのが憲法という最も大事な政治の土台をつくる必要な条件であると考えた場合に、本当に最低投票率について議論しなくていいのか。私は、ほかのものと違って、設定ということを考えてもいいのではないかと今でも思います。

それともう一つ、住民投票を見ましても、先日、岩国での住民投票のことも本委員会の議題に上りましたが、ボイコット運動のことが問題になりました。しかし、ボイコット運動が起こったとしても、最低投票率をクリアし、反対または賛成の意思がはっきりと示されたというところに大きな意味を持つということでは、結果に意味を持つということではないかと思います。

その点は諸外国でも、イギリスなどでは四〇%ルールというようなものを設定していたり、それぞれの国の状況によって違いますけれども、私たちが扱っているのは憲法である。その憲法の正統性の担保というところで、最低投票率についてしっかりと議論され、私は設定ということを考えるべきではないかというように思いますので、もう一度きょうの関連で意見を申し述べました。

枝野小委員

今の笠井さんと辻元さんの話に対して意見を申し上げると、ちょっと我が党の案の弱点をさらすような話になるので言いたくない部分もあるんですが、棄権する自由とでもいうべきものを民主主義においてはどう考えるのかということなんだと思います。

憲法改正というと、九条のような非常に重要なテーマばかりが想定をされがちでありますけれども、これは私もこの場で何度も申し上げておりますが、私は、現行憲法では私学助成金というのは憲法違反だと法学者としては思っておりますし、だから変える必要はないとも思ってはいるんです。私学助成金が必要だと思うのであるならば、本当はあの条文は変えた方がいいんじゃないのとか、それから、裁判官の報酬を減額してはいけないという憲法上の規定があるにもかかわらず、これは事実上の解釈改憲で、私はこれも違憲だと思いますが、本当はこういうことは、憲法制定時にはデフレ、賃金低下だなんということを想定していなかったと思うので、本当は憲法の条文を変えて、その上で裁判官の給与を減額するという手続を踏むべきだと思うんですが、こういったテーマのような場合においては、かなり技術的なものであって、多くの国民の皆さんが関心を持たないのがむしろ自然であるようなテーマという場合も少なからずあるんだというふうに思っていて、そうした場合には、よくわからないから関心のある人たちで決めてくださいよという自由も民主主義においてはあるんではないかというふうに思っております。

したがって、逆に、憲法九条に絡むような話のように、重要なテーマであるならば、私は、国民の皆さんが重要だと思っているならば当然投票率は高くなるはずでありますし、その中で決定をされていけばいいんではないかというふうに思っています。

そのときに、棄権する自由というものをどこまで認めるかというのが実は我が党案の悩ましいところでありまして、投票所に足を運ばない自由ということに加えて、一度に三つ、四つのテーマが別々の表で区分されて国民投票に付されたときに、投票所まで足を運び、なおかつ棄権をする自由というのをどういうふうに担保したらいいのかなというのが若干悩ましいなというふうには思っております。

以上です。

船田小委員

先ほど笠井委員、辻元委員から、最低投票率制度というのをやはり考えるべきではないか、こういう話でございましたが、確かに、私も投票率が低いということ自体は望ましいことではないと考えております。棄権の自由というのも枝野委員から指摘されましたけれども、ただ、一般論とすれば投票率が低いということは望ましくない。

しかし、最低投票率制度を設けた途端に、過去にも諸外国において例がありましたように、投票をボイコットさせる運動というのもまた同時にその結果として誘発しかねないということ。それから、本来憲法九十六条が規定する以上のいわゆる加重要件ということで最低投票率制度を設けるというのは、これはやはり憲法上問題があるのかな、そう思っております。

むしろ、低い投票率に対する懸念というのは、投票率を上げるための他の手段、例えば周知広報の徹底であるとか、あるいは国民投票運動の点における工夫であるとか、そういう手段において投票率を上げるということが重要であると私は思っております。

それから、先ほど来、与党案も民主党案もマルあるいはバツというものに固執をしているわけでありますけれども、しかし、私は、民主党が言う白紙、白票というものは、ある意味で賛成ではないんだから、これは反対というか分母に入れるべきだ、こういった意見もわからないではないのであります。

ただ、私としては、与党案、民主党案、両方の主張するところをうまく酌み取るということを考えた場合には、例えばですが、マル・バツを自書で書いてもらうということではなくて、賛成、反対という文字が最初から投票用紙に書かれていて、賛成する方は賛成にマルをつける、反対の方は反対にマルをつけるということを、これは素直な賛成、反対の意思表示の仕方だと思うわけであります。

しかしながら、例えば、どちらかといえば反対なんだという人は、明確に反対ということを余りはっきり言いたくない人もいるかもしれません、そういう人は、賛成という文字にバツをつけるあるいは二重線で文字を消す。あるいは、どちらかといえば賛成なんだけれども余り積極的に賛成というところにマルをつけたくないという人は、これは逆に、反対という文字にバツをつけるあるいは反対という文字を二重線で消す。というようなことで、できるだけ、ややあいまいと言っては恐縮なんですけれども、反対は反対だけれども積極的な反対とはちょっと違う、あるいは賛成は賛成なんだけれども積極的賛成ともちょっと違う、そういった意見を今申し上げたような方法で多様な意見として表現する、そういう部分というのが今申し上げた方法によると出てくるのではないか、こう考えました。

もちろん、そうはいっても、投票所に行って、どちらでもないということで、賛成、反対、両方の文字に何も書かないという方もおられるかもしれません。それはいわゆる白票と同じことでございますが、そういう手段をとれば、白票の割合というのは、一般論ではございますけれども、その割合とか数というのは相当減ずることが可能ではないか、こう考えております。

こういった、今申し上げたような、マル・バツ自書式ではない、最初から賛成、反対、両方の文字がそれぞれに書いてあって、それに印をつける、こういうことで白票そのものを減らすということがある程度できるのではないか。一〇〇%の解答ではないとは思いますけれども、そういうことも考えていいのではないかな、こう考えております。

以上です。

鈴木(克)小委員

今の船田委員の御発言に対してちょっと意見を申し上げさせていただきたいなというふうに思うんです。

考え方としてはわかりますけれども、現実にはちょっと問題があるなというふうに思って聞いておりました。それよりも、今言われるように、確かに判断に苦しむというか、よくわからないから、あとのことは例えば主権者の皆さんで決めてくださいという立場の国民もおみえになるというふうに思います。それは、逆に言えば、棄権をする自由を認めるとか白票で出すということが、ある意味では一つの意思表示という整理になるんではないかな。

今船田委員がおっしゃったような形では、ただただ混乱を招いてしまって、マル・バツでなきゃ三角だとか、三角でなきゃ二重丸でどうだとかいう議論に入っていくと、これは非常に難しくなるのではないかなというような感じで私は聞いておりましたので、御意見だけ申し上げさせていただきます。

以上です。

笠井小委員

私は別に答弁を求めて発言したわけじゃなかったのですが、私の発言に関連して御意見もありました。ここで別に妥協点とか、何かここは一致できるとか、修正しようという話をしようという場でないので、私がちょっと関連して思ったことについてだけ述べたいと思います。

私の意見に対してもいろいろ言われましたが、やはり依然として説得力があるような理屈とは言えないんじゃないかなというふうに思うんですね。

枝野委員が棄権する自由ということで幾つか言われたんですが、例えば重要問題であっても、十六日の小委員会の中で、井口参考人が、結局、発議自身が不適切な場合に、国民は判断できずにその際は棄権ということもある、そういうことにも一定の意味を持たせるということで最低投票率ということもあるんじゃないかと言われたわけですが、そういう問題も出てくるんだろう。だから、自由性をもっと入れようと思ったって、やはり結果としては棄権するという場合も当然出てくるわけです。

私たちの党は改憲の条件をつくる法は必要ないというか手続法は要らないという立場ですから、こうやったらいいと言う立場にありませんし、そういう点では、ぜひ案を出して、必要だと思う方がどうやったら国民の民意を一番酌み尽くすことになるのかということを考えていただければいいと思うんですが、少なくともそういう点はあるのかなというふうに思った点が一つ。

しかも、最低投票率制度にかかわっても、先ほどもボイコット運動を誘発しかねないという話がありましたが、そもそも憲法の改正の国民投票でボイコット運動が起こるかどうかというのは甚だ疑問な点があるんですが、仮に起こったとしても、国民の意思表示が多種多様であるとすれば、ボイコットも改憲案を承認しないという国民の一つの意思表示と見ることができるわけです。提出者は国民の運動は基本的に自由というふうに言われているわけですから、そういう点で言うと、憲法改正の国民投票という場面でなぜボイコット運動を規制するというか、いけないんだというふうに言わなきゃいけないのか、その点についても合理的な理由はないんじゃないかというふうに思うんです。だから、それをもってしてだということにはならないだろうということを感じました。

以上です。

〔小委員長退席、愛知小委員長代理着席〕