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2006年11月9日 日本国憲法調査特別委員会

2006.11.9

議事録

165-衆-日本国憲法に関する調査…-5号 平成18年11月09日

辻元委員

社民党の辻元清美です。

メディアの規制、国民に対する周知広報についての小委員会の報告及び補足的発言をいたします。

まず、メディアにおける意見広告を無制限に認めることの是非について、各参考人から意見を聞きました。表現の自由は守られるべきものであり、報道規制があってはならないということは当然であるという点では、すべての皆さんが一致していたと思います。しかし、先ほどから出ておりますように、テレビでのCMについては、政治的公平性を確保するためには幾つかの解決されるべき課題があることが、現場の人やジャーナリストの皆さんから指摘がありました。

今井参考人が、お金を出せば幾らでも意見広告を出せるような状態になるのではないかという危惧を指摘されたことは、先ほどから出ているとおりです。何らかの形で規制を加えるという道をとるしかないのではないか、また、これが不公平じゃなくて、お金を持つ者も持たない者も、つまり資金力のある方もない方もひとしく同じ量そういった広告を出せるんだったら話は違ってくるという意見を述べられました。

これに対しまして、民放連の山田参考人は、CMの内容によって意見の強弱や賛否の強弱など著しくアンバランスを生じた場合に、放送法の規定にもある政治的公平の観点からどのように考えるべきかなど、難しい問題をはらんでおりますと発言され、さらに、量的、内容的な公正、公平性をどのように確保するのか、また、果たして可能なのかどうかということも検討しなければいけない、したがって、通常のCM考査とはやや違う考え方をしなければならないと、自由を原則とした場合も放送業界内の自主規制のルールづくりが必要であるという現場からの意見を述べられました。

さらに、日弁連の吉岡参考人は、テレビの影響力の大きさは事実上無視し得ないものがあります、また、テレビ等の電波は限られた媒体であり、テレビ広告等を行うためには多大な費用がかかることからすれば、資金力のある者のみがテレビ等を利用できるという不公平なことになりかねないとも言えますと。これは現場の方の発言ですので、非常に重いなというように思いました。

また、民放連の山田参考人は、今回の国民投票なんかの場合に十五秒のCMが果たして許されるのか、少なくとも六十秒ないと国民投票の意見広告はできないのではないかという、前回お越しいただきました天野祐吉参考人の発言を引かれて、時間の長さも検討しなければならないと指摘されました。この六十秒のCMが基本ということになれば、通常でいえばさらに莫大な資金がかかるので、民放連の方の御発言でしたので、ますます資金力の差というのが出かねないのかなというようにちょっと危惧をいたしました。

私は、皆さんの御意見を伺いながら、公平性の担保をどのようにすればいいのか、それができない限り、有料の広告については何らかのルールや規制を検討すべきというような思いを強くいたしましたが、引き続き、この点についてはさらに突っ込んで私たちがしっかり考えていかなければならない点ではないかというふうに思いました。

また、政党が行う公費助成による放送あるいは意見広告については、賛否平等を前提にした上で行われるべきであるという意見が大半だったように思います。

日弁連の吉岡参考人からは、両案によれば結局、憲法改正を提案した側の多数意見の政党が無料で多くの時間の放送や多くの回数の広告ができることになってしまいます、国会における多数意見、少数意見がそのまま反映されることなく、賛成意見も反対意見も同等の時間、同等の回数の放送や広告ができるようにすべきでありますとの意見が出されました。

また、山田健太参考人は、なぜ政党の意見広告のみがいいのか、国会での議論をそのまま引きずるべきではないという意味からいっても、研究者や市民団体などが政党と同様に意見を展開する場を与えられるべきであるということも解決されなくてはならないとされ、山田参考人はこの点を非常に危惧されており、この点についてはまだまだ議論をしてほしいというような指摘がありました。

広報協議会につきましては、広報協議会の決定方式が三分の二の多数決原理で行われることに照らしても、公平性や平等性を担保するためには、賛成の意見の議員と反対の意見の議員からそれぞれ同数の委員を選任するなど、賛否の意見が平等に反映されるような委員の選出規定を定める必要があると、日弁連の吉岡参考人から指摘がありました。

山田健太参考人からは、議員数を配分基準にすることについて、小選挙区制に起因する得票率と議席数の乖離であるとか、賛成意見を優遇することによって民主主義の基本である少数意見の尊重をどういうふうに担保するのかという問題であるとか、あるいは公平性の確保の問題であるとか、その点についてさらに議論を深めるべきではないかと意見が述べられております。

さらに、ここは私は山田健太参考人の意見で傾聴に値すると思ったんですが、政党が責任を持って議論の中心になることと社会に流れる改憲情報が政党発信の情報が中心になることとは似て非なるものであるという指摘がされました。これはしっかり受けとめなければいけないのではないかと申し上げたいと思います。

憲法九十六条、各議院の総議員の三分の二以上の賛成という意味は、あくまでも発議における規定であり、発議後は国会内の議席に引きずられることを意味しない、よって、発議後は公共空間において広報活動はすべて平等に扱われるべきとかねがね私も主張してまいりましたけれども、この考え方について日弁連の菅沼参考人に意見を求めたところ、九十六条については私と同じ解釈であり、だからこそ、あらゆる場面で賛成と反対を対等に扱うべきと主張しているというお答えでした。この前提はとても大事なものだと思います。

民放連の渡辺参考人の次のような発言もこの前提に立っていると思います。先ほども指摘されましたが、日本国憲法が憲法改正について国民投票を定めているのは、国会が国民の意思を離れて憲法を変えられないように判断を仰ぐための規定であろうというふうに思います、そうであるならば、国会の仕事は改正を発議するということでありまして、その後は国民の自主的な判断と幅広い議論にゆだねるべきではないかと思う次第でございますと。主権者の立場から見たら当然の意見であると思いますけれども、この意見も同じような前提を基礎にして述べられたものだと思います。

国会の中で仕事をしている私たちは、議席を基準に物事を決める思考回路になりがちですけれども、国会の多数で発議した改正案、国会では多数をとらないと発議ができませんので、この改正案が一たび国会の外に出され、世に問われる段階では国会内の物事を決める基準で扱ってはならないということを私たちは心すべきではないかというふうに思いました。

参考人の総合的な見解は、それぞれ具体的な個別の問題につきましては違う意見もございましたけれども、発議後は広報活動の内容を賛否平等に扱うこと、そして広報活動を担う公的な主体が中立公正に運営され客観的な判断がなされなければいけない、ここを強く皆さんが主張されたと思います。

最後になりますけれども、山田健太参考人は、見直し案の具体的な御提案も幾つかされたんですけれども、中にはゼロベースの見直しも含まれますが幸いにも国会での本格的な審議は始まったばかりだと認識しております、このような場をより多く設け、多くの意見を参考にされ、表現の自由が確保され、最善の政治選択が提供されることを期待すると発言されましたが、この発言にあるように、国会の外の専門家ですら審議は始まったばかりという認識であるということを最後に指摘し、私の発言を終わります。

以上です。

辻元委員

社民党の辻元清美です。

私は、まず最初に、先ほどから議論になっております広報協議会及び広報活動における平等性の問題について質問をしたいと思います。

この点は、与党案、民主党案一緒ですので、一問目は与党の提出者の方にお伺いしたいと思います。

先ほどから、反対の立場の者にはできるだけ配慮をするという答弁がありました。三分の二以上で発議されるわけですから、反対が少数になるというのはその原理に従えば当然のことであり、そして、この配慮をするという発想がどこから出てきたのか。何か配慮をすると言うたら、おこぼれをやるみたいに聞こえて仕方がないわけですね。まず、その発想そのものが果たして憲法原理からいって正しいのかどうかというところをこの後質問したいと思っておりますので、この配慮をするという発想はどういうところから出てきたか、与党提出者に説明を求めます。

ちょっと、与党に聞きたいんです。(枝野委員「いや、私の案です」と呼ぶ)では、どうぞ。

枝野議員

与党に御質問ですが、そもそも広報協議会というアイデアを提案したのは私で、それを与党がお受け入れになったので、私の方から御答弁させていただいた方が筋で、それでいいかどうかだけ与党は御確認いただければいいと思います。

配慮という言葉の日本語の持つイメージが若干誤解を招くのかもしれませんけれども、まさに配慮しなければいけない。つまり、辻元議員御指摘のとおり、もともとが三分の二以上が賛成派であるということの中で広報協議会がつくられるわけでありますけれども、まさに広報協議会の役割、性格からすれば、賛成の人たちだけで構成をするということになると、事後的にしか、そこで出されてくる例えばパンフレット等が中立公正であるかどうかということについて物が言えない。これではアンフェアである。したがって、必ず反対派の人たちが入っている必要がある。

ただし、今の政治状況を考えれば、必ず反対派の方がいらっしゃるということが想定されますけれども、例えば全会一致で提案される場合もあり得るわけで、そういった場合には反対派の人を入れるものとするという条文は書けないわけでありますよね、全会一致なんですから、国会内につくる以上は。ただし、そのときにも、国民投票を求める以上は、世の中には反対の人もいるかもしれないということを前提でこういったことは配慮しなければいけないわけです、国会の責任として。

それから、今、例えば現状の国会議席数を前提とすれば、具体的に申し上げれば、衆議院で何議席以上ある会派には少なくとも一人以上とかという規定の仕方はできます。実は、そうしたいなと私は思いました。しかし、これも、その都度その都度の政治状況が違ってきますので、そういうやり方をするとかえって少数派にとって不利になる場合もあり得ることも考えられます。あるいは、少数派内部、つまり発議に反対をした党派がお互い仲がいいかどうかというのもそのときそのときになってみないとわからないとか、いろいろあります。

したがって、法律的に非常に明確かつクリアに条文を書くことが困難であるということの中で言葉を選んでいくと配慮という書き方にせざるを得なかったということでありますので、逆に言えば、ここもより明確、クリアに、国会で反対をした会派があれば必ずその中から一人は入るんだ、だけれども例えば三分の二にぎりぎりのときにどれぐらいどういうふうに入るのかというところまで考えたときに、問題ないような条文の書き方があれば、御提起いただけば柔軟に修正するつもりでいます。

辻元委員

今の枝野委員の御答弁の中にちょっと一つ象徴的な言葉があったと思います。せざるを得なかったということです。これは、ここにちょっと凝縮されて私たちが考えなければいけない点があるんじゃないかと思うんですね。

なぜかというと、先ほど全会一致という話が出まして、この間の参考人の中からもそういう発言が出ました。ある専門家がこう言っています。国会が憲法改正案を全会一致で発議した場合、全政党が憲法改正に賛成していることを意味する、しかし、そのような場合でも国民投票においては賛成意見と反対意見は均等に取り扱わなければならない。国会が絶対多数で可決した憲法改正案であっても、国民投票による承認を求めている憲法の趣旨に反するということなんですね。

ですから、私は、九十六条の解釈、三分の二の解釈というものに非常にこだわっておりました。そもそも憲法とは何かとか、九十六条の解釈を基礎にしないと、その枝葉である手続法も出てこないんじゃないかということでこだわっていたんです。なぜかというと、現状の政治状況とか議席に引っ張られて物事を考えるのではなく、憲法原理に従ってどう解釈するかというところを突き詰めて議論しなければならないと思うんですね。

全会一致の場合ということも、これは、今の私たちは反対していますけれども、考えられる、それで配慮するという規定であった。そうすると、結局、国会は発議する側ですから、三分の二ぎりぎりであろうが全会一致であろうが、まないたのコイで、発議した後は判断を仰ぐ立場ですね。ですから、国会の中にいる私たち、それから議論してきた私たちにとっては、先ほど枝野さんが、ほかに何かいい機関があればという話がありましたけれども、当面これしか考えられないかなという意味での御発言だったと思うんです。

しかし、国会の外から見たら、国会は問われる立場なのに、何だか議席に従ってとか会派の勢力図によって賛成とか反対の意見が取り扱われるのは嫌だなというふうに、国会の外から見たら、発議したことを問われる立場の者が広報活動の先頭に立つことに対する不信や疑念が出るということも理解できると思うんですね。

ですから、三分の二で発議される、これは発議までであって、発議された後の取り扱われ方というのは、やはり中立機関というものを、ぎりぎりまで私たちはないものかどうかを探すべきではないかというふうに思う点が一点ですね。

そこで質問なんですけれども、現状の議席配分というのは何かということを考えるべきだと思うんです。

選挙のときも、現状の議席配分で広報活動の時間数や政党活動の車の台数などを決めるわけではありません。現状の議席配分によって問われることはないわけです。候補者の数によってすべて規定されているわけです。ですから、人を選ぶ選挙においても議席配分に左右されているということはないと思います。これは選挙の例ですけれども。

私は、やはりこの三分の二という解釈に今までちょっと引っ張られてきたんじゃないか、発議後もあたかも何かそれに引っ張られた判断がなされていたので、配慮をするというような形、それから、せざるを得ないという形になっているんじゃないかと思います。ですから、ここのところはもう一度、私は、今までの御議論がありましたけれども、さらに外から見て、主権者の側から見て、発議した問われるべき国会と主権者の関係というところから考え直す余地があるというふうに思います。

先ほど枝野筆頭の方からはそれについていい意見があればということでしたけれども、保岡筆頭はいかがでしょうか。

保岡議員

まず、基本的な問題として、国会は発議までが責任があって、後は国会がかかわることは、関与することはかえってゆがめる要素を持ち込むことにならないか、そういう御趣旨だと思います。私は、広報協議会というのは、先ほども申し上げているように、憲法改正で国民投票を求める際一番大事な、何が提案されているか、何が発議されているかということをきちっと伝えるということが国会の重大な責任だと思います。したがって、改正案はもとより、重要な点を整理して、要約して要旨を伝えるとか、あるいは、それでもわかりにくいことを従来の議論の経緯を踏まえてさらに明快にその趣旨を明らかにするというようなことは国会の責任だ、私はそういうふうに思います。(発言する者あり)ちょっと待ってください。

それで、私としては、そういう意味で、先ほど全会一致のこともありました、全会一致の御発言があったりいろいろしましたけれども、全会一致というのは、これは、仮にあったとしても、議論の過程で反対意見というのは必ずあると思うんです、反対の趣旨やいろいろな考え方が。したがって、最終的に全会一致であっても、それをどう取り扱うか。国民に国会の発議の内容をきちっと伝える際の賛成意見、反対意見というものをどう伝えるかという問題もあるし、また、発議当時の会派の数がどれだけあるかということもわかりませんし、先ほど枝野さんが言われたように、それは今考えられる最も公正、公平、客観的なあり方を制度化したという点では、先ほどの枝野先生の御説明を我々もそのとおりだと思っております。