つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)

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2006年12月5日 日本国憲法調査特別委員会

2006.12.5

議事録

165-衆-日本国憲法に関する調査…-7号 平成18年12月05日

辻元委員

社会民主党・市民連合の辻元清美です。

本日は、十一月三十日の小委員会の報告及び補足的発言をいたします。

まず、過半数の意義について議論がなされました。私は、余りにも低い投票率の場合、憲法の正統性がしっかり担保されたことになるのかという懸念を提起しました。また、政権がかわっても耐え得る憲法であるためには、圧倒的多数の人たちで承認されることが必要であるとも申し上げ、最低投票率についての検討も考えてみるべきだと発言をいたしました。

これについて、民主党提案者からは、憲法九十六条に最低投票率などの規定がないことの意味として、棄権する自由があるのではないか、しかし、複数のテーマが区分され、一回の国民投票に付された場合、この棄権する自由をどう担保するのかは悩ましいとの発言がありました。

また、与党案提出者からは、憲法九十六条が規定する以上の加重要件として最低投票率を設けるのは憲法上問題ではとの発言もありましたが、私は、そもそも憲法九十六条に何の過半数であるかは明記されておらず、全有権者の過半数という解釈も成り立つという専門家の意見もあることを紹介し、明確な規定が憲法にない中、本委員会で過半数の解釈を決定する以上、最低投票率を設定することは九十六条の範囲を逸脱しないのではないかと再提起いたしました。

また、与党案提出者からは、最低投票率の設定がボイコット運動を誘発しかねないと懸念を示されました。また、民主党提出者からは、棄権者の意思についての問題提起がありましたが、私は、これに対し、賛成なのに棄権するということは現実には考えにくいのではないか、棄権の人たちの意思は反対または現状維持というように理解できるのではないかと述べ、また、ボイコット運動への懸念に対して、各地の住民運動の現状を見れば、最終的にボイコットだけでは運動自体が成り立たないという現状にあると指摘をいたしました。

したがって、たとえどんな運動が起きたとしても、最低投票率がクリアされ、国民の意思がはっきり示されたということが、憲法の正統性をしっかり担保する上で大きな意味を持つと申し上げました。例えばイギリスなどが四〇%ルールを設けているように、諸外国でも根本認識をそこに持った上で国民投票制度を運営しているという事例もあわせて提示をいたしました。

憲法を扱う上で過半数や最低投票率をどう考えるかということを委員会の中だけで決めようとするのではなく、さらに専門家や一般の主権者が、最低投票率のこと、そして過半数をどう受けとめているのかということも、本委員会はしっかり聴取すべきであると訴えました。

国民投票の対象については、与党案提出者から、議会制民主主義と直接民主主義がせめぎ合う危険性を持つ一般的な国民投票は別途検討すべきという発言と同時に、いきなり国民投票というのは日本国民にとって初めての事態になるわけなので、なれていただく必要があるという見解が出されました。民主党案提出者からも、一事不再議の原理から、状況が変わったから同じものを提出するというのは困難なので、予備的な調査は国民との合意づくりになるのではないかという意見がありました。与党案提出者からは、主権者の意向をできるだけ踏まえるという意味で、国民の意思を知る有効なツールではないかと関心が示されました。また、脳死などのテーマを例にとった議論もなされまして、この一般的な国民投票の取り扱いについてさまざまな意見が出ました。

私は、あくまで諮問的という前提で、国政の重要案件を国民投票にかけるシステムをつくっておくこと自体は、民主主義を豊富化する面があると述べました。

また、いきなり憲法改正の国民投票を行うことは事務的にも多くの混乱が予想されます。これは既に、投票用紙の記載方法などをめぐり、この委員会でも議論が尽きないことでも明らかだと思います。そこで、まず一般的な諮問的国民投票案のみをつくり、国民投票をやってみてはどうか。そして、初めてさまざまな問題点もわかってくるはずなので、その後で憲法という一番大切なものの取り扱い方を考えても遅くはないのではないかと提起をいたしました。

国民投票無効訴訟について、憲法改正の限界をどのように考えるかの議論もなされました。

民主党案提出者からは、憲法改正の発議について、たとえ改正の限界を超えたとしても、民主的なプロセスを経ている以上は尊重されるべきと述べられ、自民党案提出者からは、異議申し立てが手続上本質的に無効にせざるを得ないものに限定すべきと述べ、超えているかどうかを含めて憲法改正の内容の是非を判断できるのは、第一義的には発議する国会であり、最終的には主権者であると述べられました。

これに対して、私は、内容の是非を第一義的に判断できるはずの国会ですが、国会の良識がどこまで機能しているかという点を、私たち自身が常にみずからを省みる姿勢が大切だと訴えました。例えば、自民党の新憲法草案については、民主党案提出者からも以前かなり厳しい御批判がありましたけれども、そもそもの憲法観からの疑義ありという意見も多数出ているのが現状です。

その中で、視察に行かれた皆さんは御存じのとおり、憲法改正の国民投票を行っているヨーロッパの諸国では、憲法改正の限界というものを非常に大切に扱い、強く意識されているということを学びました。ドイツなどではきちっと憲法に明記されておりました。したがいまして、主権者からの憲法改正の限界に関する異議申し立てについてもどのように取り扱うのか、これは十分検討する必要があるのではないかと再度問題提起をしたいと思います。

また、私は、議論の大前提として、憲法は主権者のものであるので、主権者があらゆる点について異議申し立てをしやすくする道を断つべきではなく、東京高裁だけではなく各地での異議申し立てが行えるようにと主張をいたしました。

さらに、国民投票の期日については、最長百八十日でありますが、大きな法案を一回の半年間の通常国会で成立させることが難しい場合もあります。これは教育基本法などの例を挙げて申し上げましたけれども、それは国会議員であれば日ごろ肌で感じていることであるかと思います。国民投票の期日については、国民が十分知り、考えるために、百八十日間を超える十分な期間を再検討すべきと主張をいたしました。

最後に、与党案提出者からも指摘がされましたが、発議者である国会と主権者との意識のずれという点については、私も大変危惧をしている旨を再強調いたしました。今回報告しております小委員会のあり方についても、一部の議員で議論を深めているように見えますが、国民の理解との乖離がますます進んでしまうと私は懸念を深めております。あらゆる点において、一部の議員で議論を煮詰めようとするのではなく、国民の意見を聞くということをしっかりと私たちは肝に銘じて、そして、議論はまだまだなされるべきであるという感想を持ち、私の発言を終わります。