つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)つじもと清美 公式 参議院議員 立憲民主党(全国比例代表)

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2007年3月22日 日本国憲法に関する調査特別委員会公聴会

2007.3.22

議事録

166-衆-日本国憲法に関する調査特別委員会公聴会…-1号 平成19年03月22日

辻元委員

社民党の辻元清美です。

きょうは、浅野公述人、小澤公述人、江橋公述人、お越しいただきまして、貴重な御意見、ありがとうございました。

私たち憲法調査特別委員会の中の委員が、ヨーロッパ等を視察にも行ってまいりました。その中で、特に国民投票制度を既に持っている国々から貴重な意見をたくさん伺うことができました。その中で、どの国でも大体おっしゃっていたことがありました。それは、国民投票制度というのは、議会でのコンセンサスと国民とのコンセンサスがないとそれを実行した際に失敗する、そういう発言でした。どういう点が一番注意する点ですかといろいろなところで聞いたら、民意ですということであったり。それは、きょう特に江橋公述人がおっしゃっていた、国民とのキャッチボールといいますか、さまざまな民意をどう酌み取りながら取り扱っていくかということに通ずるのではないかなと思いながら聞いておりました。スペインなどで伺いました折には、スペインでは二十五年間憲法改正について議論しているけれどもまだ実現しない、本当に大変な作業である。どこの国もそう言っていましたね。みんな、ふんふんとうなずいておりましたけれども。

そういう中で、今、国会の状況は、まず初段階の議会内でのコンセンサスというところも、この手続法をめぐりましても委員会が職権で立てられるとか、何か先を急ぐ。または、総理大臣が、三権分立なんですけれども、立法府で議論されている議員立法について必要以上に発言をなさるというようなことがありまして、非常に危機を迎えているのではないか、不幸な状況ではないかというふうに思っております。

さてそこで、このコンセンサスをめぐりまして、先ほどから出ています憲法審査会について、まず江橋公述人に先ほどの追加でお伺いしたいんです。

江橋公述人にいただきました事前の論文を読ませていただきますと、こういうくだりがありました。「憲法改正のような重要な事項については、そもそも国会で議論をしても良いかどうかが、最初に主権者市民によって判断されるべきであり、それがゴーという判断であるときに、それをスタートの合図にして、議論が始まるべきであろう。こういう慎重さでもって、主権者市民の号砲一発を機会に議論を始めるという方法について、現在の議論は思い至っていないのである。」という一文がございました。

この部分を読ませていただいたときに、先ほどの憲法審査会の件なんですけれども、私は、そもそも、発議された後どういうような手続を踏んで国民投票を行うかということと、国会の中で言ってみれば恒久的に憲法改正の、三年間改正の部分の審査は凍結するといえども、改正に向けての議論を始めるというこの憲法審査会を設置するという、これは国会法の改正の一部になるわけですけれども、性質が違うものであると思うんです。ですから、もとから、発議された後の手続はこうですよ、そして、国会の中で憲法改正の議論を進める常設機関を設けるかどうかというのは、これは切り離してしっかり議論されるものであるというように私は考えておりました。ところが、これを一つの手続法の中に入れているところに問題があるのではないかというように主張してきたんです。

この江橋公述人の論文を読ませていただいたときも、このとおりだなと思ったんです。議論をしてもよいかどうかが最初に主権者市民によって判断され、そろそろ憲法改正の議論を、こんなにいっぱい問題があるから、国会の中でしていいんじゃないかという、それを問うて始めるというのが筋だな、もっともと思いながら憲法審査会のことをまた思い起こしていたわけですが。

この憲法審査会というものと手続法というのは、本来的には切り離して、手続法は手続法でつくるのならばすっきりつくるべきであると思われるんですが、この点についていかがでしょうか。江橋公述人と、それから小澤公述人も先ほど憲法審査会のことをお話しいただきましたので、お二人にまずお聞きしたいと思います。

〔保岡委員長代理退席、委員長着席〕

江橋公述人

もともと憲法改正に関しては、国会法の改正と国民投票法という二本の法律案という形で構想されていたと思いますけれども、それが章で分かれているとはいえ一つの中に盛り込まれて、一緒になっているじゃないかといえば一緒になっていますし、でも、章で分かれているんだからたまたま一緒になっているだけじゃないかとえばまたそうで、何とお答えしたらいいのかよくわからないんですけれども。

ただ、いずれにせよ私が申し上げたいのは、先ほどあえて制憲過程に触れたのは、要するに憲法をつくったときにGHQはそんなにきちんと考えて、三分の二、三分の二の国民投票で二分の一、それも、九十六条の条文を見ると、国会が発議し国民に提案するというふうに……。発議し提案する、発議と提案は同じじゃないかという気もしたりするわけで、九十六条の文言にせよ、あるいはそれの実際の運用にしろ、そんなにきちんと考えたわけではないので、それはむしろ皆様がこの国民投票法の審議を通じて実際に機能する憲法改正の問題を考えていただかなければ。その中で、その審査会を設置していくことと将来国民投票を行うときの手続とを総合的に考えて一つの法律になさるというなら、それはそれでお考えなのかなというふうに思っている次第です。

小澤公述人

日本の過去のこのような法令、法規範の改正とかあるいは制定の準備作業を考えますと、戦後の日本の場合は、内閣提出の、政府提出の法律案も多くあり、そしてまた省庁ごとに分けられた審議機関といいますか、そういったところで検討されてきたわけですので、なかなか国会でこの種の機関を設けるというのは、まだまだ日本はなされていないんだろうと思うんですね。

先ほども申しましたように、現在の日本国憲法の運用実態について、どこに問題がありどこを変えなければいけないのかという問題は、まさに実態にしっかりと根差した検討をしなければならない、そういうようなものを国会の場に置くということは、国会の役割としては重要なことだろうというふうに考えます。

ただし、その場合に、通常の法制審議会とかあるいは各省庁がつくっていらっしゃるような審議会と違うのは、憲法という法の場合は、それをつくることによっていろいろな下位法にさまざまに影響してくる、あるいは裁判における憲法解釈にも大きく影響してくる、いろいろ審議対象がたくさんあるし、広がるものだと思うんですね。そういうものとしてこの憲法審査会を位置づけていくべきなのではないかというふうに思います。

その点で、改正案づくりというのをドッキングさせるというのを最初から至上命題にするこのつくり方には、少々私も違和感があります。

江橋公述人

辻元委員に聞かれたことで一つお答えし損なっておりまして、申しわけございません。国会の意思と民意とのキャッチボールの問題についてでございます。

先ほど来申し上げていますように、憲法の、ある意味では偶発的にこんなに厳しくなってしまったんですが、この条件のもとでは、特に国会における与党と野党の協調、あるいは衆議院と参議院の協調、そしておっしゃるとおり国会の意思と民意との協調というものがないとなかなか進まない話になる、そういった意味で私は国民の意思を何回か聞いた方がいいというふうに申し上げているつもりでございます。

そして、その一つとして、諸外国の例からすると、予備的国民投票あるいはそれにかわる憲法問題をテーマとした下院、衆議院の解散・総選挙というような形で民意を問うということは大事なプロセスではないのかな。それを抜きに、特に今回考えられている今後の憲法審査会の考えですと、衆参同時に審議を始めるわけでもないと思いますので、一つの院で百人で何か憲法改正案がごそごそごそごそと動き始めるというのもよくないんじゃないかな。後に禍根を残す、後になって何か傷が出てくるんじゃないかなというふうな意味で、なるべく早い段階で各方面が考えを協調できるようなシステムが必要ではないかと思っています。

辻元委員

次に、テレビによる有料の意見広告といいますか、これについて伺いたいと思います。よく言われるテレビCMの問題なんですね。

これは、この委員会でもかなり当事者も含めまして議論を進めてまいりました、一定の規制が必要だろうと。これは表現の自由との関係という意見もございましたけれども、実際にテレビのCMというのは商品である、これは私もそう思うんですけれども、ある程度の、何億円とかかなりの資金がないとまず買えない。そして、広告代理店の間に立ったところを通して買うわけですけれども、その商品を買った上で、そこで意見というか広告をするということですので、ちょっと一般的な表現の自由とは、資金量の多寡によって商品としてのテレビ広告を買える人、買えない人が出てくるので不平等性が著しく出るんじゃないかという意見がたくさん出て、何らかのやはり制限は必要だろうというのが大体の意見であったように思うんです。

それで、浅野公述人は既に規制が必要じゃないかというお話でしたけれども、小澤公述人と江橋公述人にもこの点をお聞きしたいと思うんです。

これは広告代理店との関係も、有力な広告代理店と契約した場合はいいところがとれてとか、それから、例えばテレビCMに出るテレビタレントに何億円ものギャラを払ってするような広告もありということで、かなり普通の一般のメディアと違う、かつ表現の自由という点においても不平等が出てくるという点などが強調された発言もございました。

浅野公述人には、先ほど二週間程度の規制ということだったんですが、今議論の中では、これは提出者も含めてだと思うんですが、二週間だったら、もう思い切って発議後テレビCMについては規制をしたらどうかというような御意見の方もちらほら漏れ聞こえてくるわけですね。これについていかがお考えか。そして、小澤、江橋両公述人には、このテレビCMにおける資金量の多寡などいろいろな問題が出てきていますので、規制についていかがお考えかをお聞きしたいと思います。